1997年12月号会報 巻頭言「風」より

アメリカよ、どうした

加藤 三郎


この原稿執筆時(12月5日)、京都では2000年以降の地球温暖化対策が熱く、激しく議論されている。ここでもアメリカは主役だが、“悪役”となっているのがとても気になる。

長いことアメリカは私にとって教師でありつづけた。例えば環境アセスメントという事前予防の手法、マスキー法といわれる先進的な自動車排ガス対策の法制化、さらに、科学の成果を前面に出して猛烈に展開したオゾン層保護外交などは、アメリカの「大義」、アメリカの強さを遺憾なく発揮した好例である。地球温暖化問題にしても、少なくともアメリカの科学者やNGOの活躍は目覚ましい。今日の温暖化論議も、ハワイでの長年にわたるCO2の測定抜きには成り立たなかったし、予測に不可欠のモデルにしても、コンピューターに係わるアメリカのハードやソフト技術なしには考えられなかった。

そんな歴史を持つ環境リーダーのアメリカが、何故今回の地球温暖化京都会議(COP3)では、消極的というよりは自国の経済に直結した国益をあらわにして、世界に挑戦しようとしているのか残念であり、失望を禁じ得ない。私が特に問題にしているのは、世界一の浪費大国アメリカの削減率ゼロ提案というよりはむしろ、①アメリカの経済に悪影響を与える内容の議定書には批准しない、②途上国も一緒に対策をとらない限り批准しない、という立場をまず上院が全会一致で決議し、その後クリントン大統領も、その線を承認して、アメリカ代表団は京都会議に臨んでいることである。

私の知る限り、環境分野でアメリカが重要な政策を決めた時や国際社会に打って出た時に、およそ自国の「経済の都合」を前面に出したことはない。環境アセスメントも、捕鯨禁止も、自動車排ガス対策も、オゾン層保護の時も、自国の産業のことはもちろん視野の中に入ってはいても、少なくとも前面においては「環境を護る」という大義とその意志が理由であった筈である。今回のアメリカの「後退」はショックであり、その政治的・社会的理由は深く考慮に値する。

さしあたって考えられる理由は、エネルギーロビイストによる大金を使った猛烈な反温暖化対策キャンペーンである。もし上院での全会一致の決議がそのためであるとしたら、大政翼賛会的行動をとったアメリカ議会政治の健全性を疑わしめるゆゆしき事態である。

そうではなくて、アメリカの全上院議員も大統領も、結局アメリカにとって唯一大切なのは、自国の「経済」を維持するという国益だと考えたとしたら、どうして他の国、例えば経済開発に猛進している中国、インドなどの途上国や中進国を説得して温暖化対策に参加させることが出来るのだろうか。

,p>と書いてきて、校正の段階(12月11日)でアメリカの「転身」(7%削減受け入れなど)を知った。何故、変わったか、その意味や何がそうさせたか、議会との関係はなどは現時点では不明であるが、次号でこれも含め今回の京都会議の意義を考えてみたい。