1998年12月号会報 巻頭言「風」より

循環社会への処方箋

加藤 三郎


98年は不況に明け、不況に暮れようとしている。堺屋太一経済企画庁長官のおっしゃる「日本列島総不況」といった冬景色であるが、不況は経済事情だけにあるのではなく、人の心や政策にも「不況」現象が目立つ。特に痛ましいのは不登校児の増加や小学校での授業の不成立など子供の心も行きくれているかに見えることである。どうやらモノの豊かさが人を幸せにすると無邪気に思い込めた時代は終わって、日本社会が深い混迷の霧にまかれ、出口を探しあぐねて苦悩を一層深めた年であったように思われる。

出口はまだ見えないが、それを探し、新しい価値観や経済システムを作り上げようと奮闘している人や企業、自治体、NGOは日本にもたくさんいる。私たち「考える会」はその一群の先頭に加わっていることを誇りに思う。私自身も環境問題を切り口に21世紀を展望する努力を今年もなし得たことを嬉しく思っている。

その努力の一環として、先月末に『「循環社会」創造の条件』と題して出版し、私の思いを世に問うた。これまで本誌で繰り返し主張してきたように、政治、経済、文化、我々の日常生活、あらゆる面で、環境対策と経済活動とをこれまでのように分離して考えられない時代になった。新しいシステム、つまり経済活動のなかに環境対策も組み込み、環境対策のなかに経済の視点を盛り込むべき時代が求められているのだ。21世紀は「環境の世紀」と呼ばれるが、この言葉が真の意味を持つのは、経済と環境が渾然と結合されている時代を迎えられた時であろう。そのような未来を目指して、人類社会の永続性を確保できる社会のあり方が探求されるようになってきたのだ。それこそが21世紀にふさわしい新たな経済社会を切り拓くとの希望が芽ばえてきたからである。

そのような社会を人々は「持続可能な社会」、「環境保全型社会」、「循環型社会」など様々な名称で呼ぶようになってきた。私は、これを「循環社会」と呼ぶが、循環社会とは、一言で述べれば、徹底的に資源を節約し、徹底的にモノをリサイクルする社会である。しかしそれが、具体的にはどんな社会なのか。循環社会であるためには何が必要なのか。そのイメージや内容は専門家の間でも明確な像は定着していない。また循環社会を言葉だけでなく、実際に日本の社会に根付かせ、ひいては世界の永続的な発展に寄与するために何をすべきかについても、個別の事象にはそれなりの対応策はあるが、横断的に見た首尾一貫した明確な指針や処方箋があるわけではない。

本書はそこに焦点を当て、循環社会、つまり有限な地球環境の中で使い捨て一方の成長を追求しつづける永続不能な社会ではなく、より安定し、環境負荷の少ない循環を基調とした社会、人間が人間らしく生きることができる社会への条件ないしは処方箋を提供しようと思い一書にしたものである。正月休みにでもご一読いただければ幸いである。