2001年4月号会報 巻頭言「風」より

クルマ社会の転換を急ごう

加藤 三郎


1930年代のイギリスで「自動車―20世紀の恋人」という表現が生まれた、という。それ程までに愛されている自動車は、まさに20世紀文明の象徴といえる。そして、その20世紀文明の重要な特徴は、機器の高い利便性とそれが不可避的に有する環境への大きなインパクトだろう。

現在、日本の自動車保有台数は約7,200万台であり、大まかにいえば国民2人に1台、世帯当たり1.5台という大変な数である。その莫大な数の自動車が利便性と引き換えにもたらす負の側面も大きい。1年間に約1万人が交通事故で死亡し、約100万人が負傷している。環境問題と健康被害に関連しては、各種の大気汚染や騒音、振動が挙げられる他、日本のCO2排出量の約2割が自動車によるものであり、地球温暖化に大きく関与している。また、社会的側面に注目すれば、国と自治体の予算の道路整備への偏重(年間約15兆円)、高齢者・障害者・子どもなどの交通弱者の疎外、駐車スペースの拡大なども挙げられる。

数年前までは、クルマ社会を問い直す意見は、マイナーであった。しかし、最近になって、大きな変化が現れている。これは、一連の道路公害裁判の原告側の勝訴にも示される。また、1999年8月からの石原慎太郎都知事が打ち出した「ディーゼル車NO作戦」がきっかけとなって、国と石油業界の取り組みが加速されることになった。

制度部会では、2年前からこのクルマ社会の問題を取り上げ、人間とクルマとの関係、あるいは自動車を中心とした陸上交通全体を、より良いものに変えていくための政策研究を行っている。2001年3月現在も検討中であるが、ここでは特に力をいれて検討している七つの視点を以下に紹介したい。

第一に、クルマ自体を低公害車、ないしは大気汚染については無公害車に変えることである。過去においても、自動車排ガスに対しては、日本では昭和40年代に世界でもまれにみる程の厳しい規制を行い、著しい成果を挙げた。今後はこの規制に加えて、税や課徴金などの経済的手法を積極的に活用すべきであると考える。これについては「自動車税制のグリーン化」がやっと動き出そうとしていることをまずは評価したい。

1999年に運輸省と環境庁が共同で要望した「自動車税制のグリーン化」は、自民党内に加えて政府内の反対により陽の目を見ることができなかった。しかし、2000年12月には、再び運輸省と環境庁が、今度は通産省を巻き込んで三省庁共同で自動車税制のグリーン化を提案し、これが2001年度から導入の見通しとなった。1999年と2000年の要望内容の違いは、主に二つある。一つは、前年が自動車税(都道府県の一般財源に充当)と自動車重量税(主に国や市町村の道路特定財源となる)を対象としていたのに対し、今回は自動車税のみを対象としていることである。つまり、前年度提案が道路特定財源を減額させたくない勢力による反対によって潰されたことを考えて、今年度は自動車税のみを対象とした。もう一つは、通産省(当時)を巻き込んで、グリーン化の軽減額を大きくしたことである。これは、燃費のいい新しい自動車に買い換えてもらいたいという産業界の意見を通産省が反映したものである。

もちろん、このような複雑に利害が絡み合って成立した自動車税制のグリーン化を、素直に喜べないという人もあろう。しかし、私は、身近で利便性の高い道具から環境問題への関心を高め、やがては環境税の導入へとうねりをつくる、その突破口になると期待したい。

第二は、道路づくりの方向を変えることである。これまでは、莫大な道路特定財源(揮発油税や自動車重量税など)が主としてクルマのための道路づくりに充てられてきた(本号松尾論文参照)。しかし、今後は、歩行者が安心して歩ける歩道や自転車専用道路を整備することが必要である。ちなみに、建設省(現・国土交通省)も昨年11月に、都市部の新設道路については歩道と自転車道を併設するなど、道路構造令を改正する方針を示した。今後の展開を注視したい。

第三は、車の所有・利用形態を変えることである。今までは「マイカー」という言葉が象徴するように個人ないしは世帯ごとに自家用車を所有することが事実上奨励され、またそのような前提で制度がつくられている。しかし、私たちの多くは、クルマという商品ではなく、クルマの持つ機能、つまり移動手段がほしいのである。既に、クルマを個人や世帯で所有するのではなく、共有する「カー・シェアリング」という試みがヨーロッパで始まっている。日本でも、レンタカーやタクシーをより便利にすると同時に、カー・シェアリングの制度を導入することが必要である。カー・シェアリングは、必要度の低い自動車利用を抑制し、総走行台数・距離を削減するのに有効である。

第四に、街の中のきめ細かな車種別の規制といったものも考えられる。現状では、住宅地の細街路でもクルマが侵入してきて我が物顔で走り、人は壁や植栽に張り付いて命からがらクルマを避けているといった光景がよく見られる。この「クルマが主役で人間は脇役」といった状況を逆転しなければならない。例えば、細街路へのクルマの侵入を禁止したり、通過交通を防いだり、ハンプをつくって自動車の速度を落とさせる道路にするなどの方法をもっと大胆に活用すべきである。

第五に、公共交通の使い易さを増す政策がもっととられるといい。日本では、先輩たちの努力により、都市部の鉄道や地下鉄は確かに相当発達している。しかし、1987年の国鉄分割民営化によって赤字ローカル線が縮小または廃止されたことで、地域の足がなくなり、マイカーに頼らざるを得ない地域も増えた。そして、氾濫するマイカーやトラックで渋滞が起こり、バスが定刻に到着せず、それが人々のマイカー利用を誘発するという悪循環ができている。そこで、コミュニティバスの運行、トランジットモール(商店街で公共交通優先、マイカー乗り入れ禁止)など、公共交通機関をもっと便利にする政策をとるべきである。関西では「するっと関西」、関東では「パスネット」なる私鉄の共通券が発行されているが、これがさらにJRやバスにも拡大されると、公共交通機関の便利さが増えるだろう。

第六に、都市の構造自体をクルマ依存でないものに変えていくことである。これは、先述した道路空間の再配分や公共交通の推進とも関連するが、小手先の道路政策の変更よりさらに踏み込んで、長期的に都市のかたちを変えていくということである。例えば、歩行・自転車または公共交通での移動がしやすいコンパクトな都市の設計が考えられる。OECDにおけるEST(環境的に持続可能な交通)の議論や、ドイツのカールスルーエ市の事例などで知られる路面電車優先、都市中心部へのクルマの乗り入れ禁止などに学んでみてはどうだろうか。

第七に、運転免許の基準を見直すべきである。日本では、運転免許の適性について真剣に考えられておらず、18歳以上ならば誰もが簡単に免許を取ることができる。また、事故を繰り返す運転不適格者でも、比較的簡単に免許の再交付がなされる。しかし、便利で必要なものであるからといって、人を容易に殺傷しうるクルマの運転を自由に任せていいということにはならない。再免許申請者に適性検査を義務付けるなどが必要だ。

これまでのクルマ社会は、環境の観点からも安全の観点からも事実上、破綻に近づいている。このままいけば破綻するということに早く気付き、少なくとも先に述べた視点を取り込んで大胆な転換を準備することは、単にガソリン・ディーゼル車を燃料電池車に乗り替えることよりも、クルマに関連する企業も含めて、長期的には益するところが多いはずである。