2003年1月号会報 巻頭言「風」より

成せば成る

加藤 三郎


21世紀になって3回目の新年を皆様いかがお迎えでしょうか。激動する世界や日本の状況に不安を覚えながらも、やはり希望や期待を持って新春を迎えられたことと思います。

確かに、2002年は多難な年でありました。異常気象に伴う大災害は国の内外で起こり、国内では失業、リストラ、犯罪も増え、さらに北朝鮮の拉致や核開発問題、そしてイラクに色濃く漂う戦乱の影など散々ひどいこともありました。もちろん、ワールドカップでは多くの人が燃えたり、例のタマちゃんに癒されたり、ノーベル賞のダブル受賞に喜んだりと明るい話もありました。しかし総じて見ると、21世紀に生きることの厳しさがひしひしと伝わるような年だったように思えます。だからこそ、今年は未来への希望につながるような年であってほしいと願わずにはいられません。

2003年にもいろいろな動きはあるでしょうが、私達にとってみれば、待ちに待った京都議定書の発効を迎える年となるでしょう。現状で温室効果ガス全体では基準年から8%増え、炭酸ガスだけについていえば10%ほども増えておりますので、あと10年ほどの間に温室効果ガス全体では14%も削減することが日本の法的義務となります。経済が全般的に不況のなかでも炭酸ガスなどの排出はこれだけ増えているので、それを削減に転ずるのは並大抵ではありません。

それを先取りする如く、議定書に盛り込まれている「京都メカニズム」と呼ばれる補足的手段を使ってなんとか負担を軽くしようという努力、つまり国内での排出量取引や発展途上国との共同削減努力(CDM)に関する議論は昨年あたりから一層にぎやかさを増しています。また森林によるCO2の吸収を増やすための試みもあれこれと開始されようとしています。いずれにせよ、今年以降、環境政策の大きな軸は京都議定書発効をめぐって激しく動いていくことになるでしょう。

ところで、次頁の図を見てください。この図の棒グラフは、日本で90年度以降の産業廃棄物と一般廃棄物の最終処分地への持ち込み処分量で、折れ線グラフは日本全体からのCO2の排出量の二つの推移を示しています。この図から明らかなように、過去10年の間に廃棄物の最終処分量はほぼ右肩下がりで下がっている一方、CO2は右肩上りで上がっています。私は、このグラフはいろんな意味で示唆的だと思います。この図を見ていると、将来に希望なきにしもあらず、もう少し強く言えば、「成せば成る」のではないかとの思いを深めているところです。

この図には示せませんでしたが、過去10年の間、一般廃棄物も産業廃棄物もその排出量はほとんど変わっていません。それにもかかわらず、最終処分地にまわる量がこれだけ減ってきたというのは何を意味するのでしょうか。それはゴミのうち資源として再生利用、いわゆるリサイクルにまわった量が年々増えてきたということです。なぜゴミはこうなったのでしょうか。

その背景としては、日本の経済構造、産業構造の変化、つまり、経済が物離れをし、サービス化が進んでいることも一応は考えられます。しかし、ゴミの排出量自体はこの間にほとんど変化がないので、これは説明としては無理です。やはり一番大きく効いたものとしては、産業廃棄物であれ、一般廃棄物であれ、処分地の立地が極めて難しくなり、処理のためのコストもますます高くなってきたことが、リサイクルをいや応無しに促したと考えるべきでしょう。つまり、陸上では最終処分できる場所には限りがありますので、その容量の限界が厳しく効いてきた。別の面から言えば、これまでの度重なる廃棄物の処理とリサイクル関係の法令改訂による規制の強化が効いてきたとも言えましょう。ただ、この図では2000年に制定された循環型社会形成推進基本法と、廃食品リサイクル、建設廃材リサイクルなどの個別リサイクル法制度の効果がまだ時間的に反映されておりません。そのデータが出揃えば、この低下傾向は一段と明瞭になるでしょう。

その一方で、大気中に捨てるゴミともいうべきCO2を見ると、相手が気体だけにゴミ捨て場の立地難ということはありません。煙突や排気口があれば、ほっといてもCO2は大気中に抜けていき、そこに蓄積されます。これが温暖化の原因となるわけですが、排出者である市民も企業も行政機関も、このことによって温暖化を招き寄せているだろうという認識はあっても、捨て場にも困るという危機感はまだありません。それでも、地球温暖化による異常気象現象が頻々と報ぜられるようになってきて、温暖化に対する認識が少しずつ深まるにつれて、ここ数年間に市民の間でも企業でも対策がポツポツととられつつあります。

行政の方でも、省エネ法の改正や電力事業者に一定レベルの自然エネルギーの供給を義務づけたり、自動車のグリーン税制の実施や石炭などへの課税などの導入努力もここ一、二年に始まりました。しかしCO2の排出をズバリ規制するなど、排出者に経済的負担をかけ、少なく排出する人には経済的メリットを与えるといったメリハリのある施策は、まだ緒についたばかり、ないしは議論がやっと始まった段階にしか過ぎません。そのことは、市民、行政、企業などにより減量化やリサイクル強化の施策が相次いで取られた廃棄物の処分量は顕著に減少し始めたのに、CO2の排出は増大している事実に端的に示されています。

裏返していえば、CO2についてもゴミ処理の場合と同じように危機感を市民、行政、企業が共有し、そしてその危機感に裏付けられた思い切った施策を講じさえすれば、廃棄物の場合と同様に右肩上りから下げへ転じ得る期待を強く抱かせます。

温暖化によって、100年で悪くすると5.8℃ぐらい地球の平均気温が上がり、海水面は99cmほど上がるであろうという科学者の警告は、多くの人にとっては残念ながら抽象的な危機としてしか感じられないようです。危機が身近でないので、排出増加の一途をたどるCO2を削減に転ずるための強力な施策を講ずる動機付けになっていません。

しかしこのような甘い認識もおそらく時間の問題で変わっていかざるを得ません。地球温暖化対策の第一段階である京都議定書の法的義務を達成するためというよりは、日本の社会を持続あるものに変えるための力を今年は結集する、つまりは地球温暖化対策も「成せば成る」元年としたいものです。

そういう意味からも、今年前半の本誌のテーマは、今月号の「暮らしを変えたら…」を手始めに、消費、メディアなど持続可能な経済と暮らしに焦点をあてる予定です。大いにご期待ください。