2003年2月号会報 巻頭言「風」より

元気な「地方」が日本を救うか

加藤 三郎


去る11月13日の朝、読売新聞の一面トップ記事に、私は大きな衝撃を受けた。その記事は、「都、CO2削減義務化」という大見出しとともに、「大規模1,000事業所、数値目標・罰則検討へ」「国に先駆け初」といった活字が目に飛び込んできたからだ。東京都としても京都議定書の発効を前提に、これまでも様々なことをしてきた。しかし、今までのやり方のままでは、都自身が掲げた削減目標をとても達成できないことが明瞭になり、条例を改正してでも規制などの措置を目指すこととなったという。これは、①オフィスなどの大規模事業所にCO2の排出削減を義務化する、②新築建築物に対し、より高い省エネ性能の達成を義務化する、③消費者に省エネ情報が確実に伝わる仕組みづくりを推進する、④自動車に起因するCO2排出量の削減対策を強化する、⑤再生可能エネルギーへの利用転換を促進する、⑥街づくりと一体となったヒートアイランド対策を推進する、という都の温暖化阻止基本方針に添った施策案とのこと。

さて、もう一度読売の記事に戻ると、何故私がこれを目にした瞬間、強い衝撃を受けたのか、そのわけを少し述べておきたい。実は、私は、昭和41年に厚生省公害課の職員になったが、そのときすでに、水俣病やイタイイタイ病はもとより、四日市公害も大都市公害も、社会問題になっていた。しかし、高度経済成長を至上とし、地域の経済開発に全力をあげていた当時の中央政府にあっては、これらの公害問題はまだまだ片隅の問題として軽視されていた。そのとき地方では、公害に苦しむ住民から激しい突き上げをくらい、特に先進的な自治体では、条例あるいは協定等により、独自で強力な施策をとり、ないしはとろうとしていた。やがてそれは、「上乗せ」「横だし」として日本の法制にも採り入れられるようになり、また総量規制などの画期的な対策手法の多くは地方から出てきていた。私は今でも、地方の公害担当者から、私を含め中央にいる人の現状認識の甘さや対応能力の不足を厳しく批判され、叱正されたことを昨日のことのように覚えているので、温暖化対策でも地方から中央への突き上げが再び始まったとこの記事を見て直感したのである。

ただ、「地方」もずっと元気だったわけではない。私の見るところ、1980年の後半から1990年代の半ばにかけて、地方行政の勢いが失速した時期もあった。産業公害、都市公害の克服にかなり目途がつき、新たに、酸性雨、オゾン層の破壊、温暖化などの地球環境問題が出てきた当初は、地方から、「これは国の仕事であって、地方の仕事ではない」という消極的な反応があったと私は記憶している。しかしその後、三重県の北川知事、長野県の田中知事、東京都の石原知事のように、強烈な個性を有する知事が登場してきたことが、舞台を転換させる大きな力となった。

もちろん地方が元気になったのは、これら知事の登場だけによるものではない。95年に成立した地方分権推進法に見られるように、90年代の半ばから地方分権を推進しようという流れが滔滔と出たことが大きく影響している。国の権限や税財源を地方に移す、補助金を削減し使途を限定しない、地方交付税を抜本的に見直すなどの動きが中央からも出てきたことも大きい。しかし、こういう制度変革の動きだけで、地方に元気が出たわけではない。やはり強烈な個性で時代を突き動かす主張をもつ知事や市長の活動が不可欠だ。例えば、石原知事の「ディーゼル車NO」、田中知事の脱ダム宣言、さらに最近では、岩手、青森、秋田の三県知事らによる産業廃棄物税の導入などの行動が世の中を大きく変えつつあることは間違いない。

今年1月8日付けの読売新聞によると、石原知事は、年頭挨拶で、都庁の幹部に次のように檄を飛ばしたという。「こちらが強い姿勢で向こうが怒るようなことを言わないと、国は動かない。発想を変えることに反発があっても無視していい。摩擦のなかに飛躍がある。自信を持って言いたいことを言い、やるべきことはみんなで結論を出す」。石原流のかなり挑発的な発言とは思う。しかし、事態が刻々と悪化し危機が迫りつつあるなかで、相変わらず各省協議だ、族議員や業界団体への説明だといったことに大部分のエネルギーと時間をとられて、実効ある政策決定が遅れ遅れになっている中央との対比が見えてくる。

石原知事がこのような発言をしているからかどうかは知らないが、東京都の環境局長は、「国のステップ・バイ・ステップの三段階でやっていたら立ち遅れてしまう。やはり、国がきちんと対応すれば動く話ではないか。東京都のような大都市の場合、オフィスなど事務所は非常に多いが、そういう所の省エネ努力はまだまだ足りないのが現状だ。そこは本来、国がもっと予算を使って達成可能な目標を設定すればいいと思うが、それにはすぐ反対が出るから結局やめてしまう。都ではそこのところを突破しようとしている」との趣旨の批判をしている(「環境新聞」1月1日付)。

確かに、知事と総理大臣とでは法的性格が大いに異なる。よく言われるように、知事は大統領的に一人の個性で行政のリーダーシップがかなりとれる。もちろん議会の承認が必要ではあるが。石原知事や田中知事がその典型例を劇的に示している。その一方、首相は総理大臣といえども各省大臣の合意を経なければ何も決められない。制度上、閣議は全会一致だ。知事のように、議会の承認さえ得られれば、後は関係部局長を手足のごとく使えるのと違い、総理大臣は自分の政治信念に従って各省大臣や官僚群を使いこなすことは難しい。それを端的に示す証言がある。

不良債権の発生や処理に大蔵大臣や首相として深く関与した宮沢喜一氏は、1月8日付朝日新聞紙上で次のように述懐している。「私は92年に不良債権問題に気づいたが、皆が反対すればできない。最も反対したのは大蔵省銀行局だった。不動産価格は回復するのであり、とんでもないことを言っては困る、と。銀行業界も反発し、産業界も「銀行救済なんて」と反対した。政治の側はこの問題が大変なことになるという認識がなかった。実態を知る官僚機構は火消しに回り、経済界も動かない。そういう仕組みの中では何もできない。日本は問題が起きた時、皆で話し合ってなるべく表に出さず、犠牲者を出さず、リスクをとりたがらない風土がある。リスクをとる風土なら早期処理につながったかもしれない」と。この発言は、日本の総理大臣の力とは何なのかを簡明に正直に語っている。今、小泉首相も苦しんでいるようだが、それは小泉首相の能力というよりは、制度の問題が大きいことを皆が認識すべきだろう。

個々の官僚についても能力や意志の問題というより、まさにシステムの問題。しかし、このシステムがあらゆる面で、制度疲労となり機能不全になりつつあることが明らかになった以上、そして地方の知事らの奮闘により、未来に展望が得られる見通しがある以上、私たちはもうそろそろこの古い衣を脱ぎ捨て新しい方法の導入を真剣に考える時期にきているのではなかろうか。私は、憲法も政党も中央行政も、環境問題を踏み台にして脱皮すべき時であると確信する。

ここでもまた、私たちNGO/NPOの果たし得る役割は決して小さくはないことを思うこの頃である。