2006年1月号会報 巻頭言「風」より

NPOであることの喜びと責務

加藤 三郎


1.規定演技から自由演技へ

平成5年7月、私は27年余過ごした官僚生活に別れを告げ53歳でNGO生活に入った。その当時「恵まれた官僚生活を何故捨てたのか。」とか「清水の舞台から飛び降りるほどの勇気がありますね。」とか人に言われ、今でもたまに言われることがあるが、私としては自然な流れであった。

当時、家内が体調を崩していたので何時でも対応できる状況に身を置きたいという思いが強かったが、より本質的な思いとしては、役人としての様々な制約の中での生活ではなく、自由で独立した立場で、心ゆくまで環境と文明の問題を考え、発言もし、行動したかったからである。体操やスケート競技にならって「規定演技から自由演技に代わった」と私は当時よく言っていたが、今でもその通りだと思っている。退官するとすぐに当会の前身である「21世紀の環境と文明を考える会」を立ち上げ、その支援組織としての環境文明研究所も同時に創立した。

2.佳境に入るNPO生活

この12年余、当会は様々なことをしてきた。最近数年の活動は、例えば環境教育の重要性から見て、これを法制化して欲しいと法案骨子を作って議員立法を働きかけたり、今は憲法に環境原則を入れてほしいと活動している。また、当会発足以来、終始変わらぬテーマである持続可能な社会を支える経済とは一体どんな経済なのか、今日の経済とどこがどうちがうのか、どうしたらその経済に跡り着けるのかといったことを探求し続けてきた。

その過程で海外の研究者と組んだり、ボストン、ハワイなどのアメリカ市民との会合も5回を重ねてきている。ブッシュ大統領が京都議定書から離脱した際には、小泉首相が盛んにアメリカを引き戻す説得活動をすると言っていたのに危機感を覚え、一緒に離脱してしまうのではないかという懸念から首相官邸前でのデモのほか、アメリカ大使館に出かけて行って、担当参事官に訴えたりもしてきた。さらに京都議定書になかなか批准しないロシアに働きかけるべく、他のNGOの代表達と一緒にロシア大使館へ出かけて担当参事官に直接陳情するといったようなこともした。

このような活動の一つ一つがどのような効果をもたらしたかは分からない。しかし、この十年余の社会の動きを見れば、私たちの主張してきたこと、活動してきたことは、歴史の流れを形作り、あるいはごく近いところにいたと自負している。これもNPO生活ならではであって、私がもし官僚でありつづけたら、とても出来なかったことばかりである。

しかしながらNPO生活の醍醐味は、やはり部会活動にあるというのが最近の心境である。部会活動と言えば最近は、グリーン経済部会と憲法部会の二つがあるが、これに限らず当会の設立直後の環境倫理部会から始まって、飲料自販機、クルマ社会、環境教育など次々と部会活動をしてきた。そのすべてに共通しているのは、最初の議論は混沌とし焦点が定まらないところからスタートする。考えてみれば、それも当たり前である。なにしろ、バックグラウンドや経験を異にする20歳代の若者から70歳代の大人まで、自発的に集まってくる各十数人のグループであるので、何を議論するにしても最初のうちは、くるくる回り、進んでいるのか、後退しているのかわからない時期をしばらく過ごす。この時期、例えば企業戦士や学者、役人といった特定グループに属する専門家がその様子を一目見たら、「なんだこれは、烏合の衆か、少し高級な井戸端会議にすぎない。」と思ったとしても無理もない。しかし、私たちは共通の目的を持って集まっているので、この時期を過ぎれば、やがて焦点が絞られ、急速に感度が良くなってくる。その結果、当初ではおよそ想像し得なかったような地点にたどり着くのが、私たちの例外なしの経験である。

例えば、グリーン経済部会にしても、当初のころは、100円ショップやコンビニエンス問題あたりから議論を出発し、やがて食と農、働くこと、そしてグローバル経済が荒れ狂う中でいかにして地域の経済や文化を守り育んで行くかということに焦点が当たってくる。そしてその焦点をもう少しピンポイントで議論することによって、ぼやけていたものがカメラのピントに合って、明確に像を結ぶのに似た瞬間がやってくる。これは正に鳥肌が立つような喜びだ。

私も若いときから議論好きで国際社会での討論を含め、様々に参加し政策形成や合意形成の経験をしているが、当会の部会活動で経験したような飛躍感は、経験したことがない。公害環境分野に40年余身をおいてきたとはいえ、私一人が考えてもとても及ばない。かつて経験した官僚同士での政策論議、研究室や職場での仲間同士での議論、そういう場からは出てこない予想外の転換、飛躍ができる。私は年のせいかどうか分からないが、最近はこのような瞬間を至福と感じるようになり、NPO生活もいよいよ佳境に入ったという実感を味わっている。

私の言う事をウソだと思ったら、一度経験してもらいたい。ただし部会に1、2度冷やかし程度で顔を出すのでは、とても今言った喜びや高みには到達できない。もし、こういうものを求めたいのなら、ご面倒でも月に一回、文字通り万障繰り合わせて参加して欲しい。とは言っても遠方にお住まいの方やお仕事が忙しくて気持ちはあっても参加できない方には誠に申し訳ないが、参加した人だけに与えられる特権的な美味であることを私はNPO体験から保障できる。

3.「公」の一翼を担う

戦後60年、日本社会の基本構造は、政官産の三極が互いに利益を分け合う形で形成されてきた。この時代には、NPOの出る幕はほとんどなく、出たとしても白眼視、無視ないしは敵視されることも多かった。それが1990年頃から変化し始め、官でも企業でもないNPOに出番がわずかずつ与えられるようになり、昨今の動きは、その変化を質、量ともに加速している。これまでは役所が独占してきた「公」の一翼、しかもかなり重要なパートをNPOが受け持つような流れも出つつある。

そうなるとNPO生活を喜んでばかりはいられない。当会は、公の一翼を担って、社会の持続的な発展に寄与する責務を有することを改めて私たちも自覚せねばならない。その役割を十分に果たせるよう、会員各位のご支援とご叱声とを事務局にお寄せくださるよう、今年も切にお願いする。