2007年3月号会報 巻頭言「風」より

日本の得意技が危ない

加藤 三郎


私たち日本人が、世界に誇れることや技術は一体何でしょうか。スポーツが好きな人は、イチローや松井秀喜に代表される技や、荒川静香の優雅なイナバウアーを思うかもしれません。人によっては、歌舞伎のあの伝統演技に限りない誇りを、また、新幹線やロボット技術に日本の力を感ずる人もいるでしょう。

このように、様々に意見が分かれるでしょうが、環境技術力や省エネ力こそ、日本が世界に誇れる得意技だと思う人は多いと思います。私もその一人です。ただ、この環境技術力にしても省エネ力にしても、自然に出てきたものではなく、日本の急激な経済成長とその影の部分である公害との厳しい戦いの中から搾り出すようにして、生まれ出てきたことは忘れてはならないでしょう。

実際、1970年代は「日本列島は公害列島へ化した」とメディアから酷評された時代です。住民運動は激しく、多くの自治体は革新自治体となり、政府の姿勢に批判的な首長が誕生しました。そのような真っ只中の昭和41年、私は厚生省公害課に身を投じ、公害行政の末端に加わりました。

その頃の公害との戦いを思い起こすと、日本のあらゆる組織が動員された総力戦であったと強く感じます。すなわち、自治体、労働組合、地方の議会、さらに国会、そして裁判所さえも公害との厳しい戦場となりました。公害対策基本法の下で1969年に硫黄酸化物に関する環境基準が設定されると、日本の産業界はこの基準を達成するために総力を挙げて取り組みました。当時、通産省の総合エネルギー調査会に設けられた低硫黄化対策部会の部会長には、経団連の植村甲午郎会長が就任し、メンバーには石油連盟の出光計助会長、日本鉄鋼連盟の稲山嘉寛会長、日本興業銀行の中山素平会長、石油化学協会の長谷川周重会長、電気事業連合会の木川田一隆会長、こういった面々が顔をそろえているのを見ますと、産業界がいかに真剣だったか理解されます。

このような中で獲得した技術は、脱硫・脱硝・水質汚濁防止技術だけでなく、NOx規制とのからみの中で獲得した省エネ技術があります。最初の石油危機が起こった1973年が奇しくもNOx対策元年と重なったことで、燃焼管理の強化を伴うNOx対策が効果的に、著しい省エネ効果も挙げ、油の値段が高くなった時代に、国際競争力を高める効果を多くの企業にもたらしましたが、中でも自動車業界には、大きなものがありました。これは私が勝手に思っているのではなく、例えば1998年に出されたトヨタの環境報告書において、当時の奥田碩社長は、次のように述べているのを見ても明らかです。「トヨタは環境保全を経営の最重要課題のひとつと位置づけ、積極的に取り組んでいます。ただ、これらの対策を推進するうえで環境保全と経済成長が相反するものと捉えたくはありません。これについては幸いなことに、1970年代の貴重な成功体験があります。当時、世界各国で光化学スモッグなどの公害問題が発生しましたが、エンジニアたちはこの解決にあらゆる角度から総合的に取り組み、エンジン制御や触媒技術、車体の軽量化を飛躍的に進歩させました。その結果、燃費をはじめとするクルマの性能も大幅に向上し、トヨタ発展の原動力ともなりました。」と。

このような貴重な経験を背景に、今、温暖化対策にどのような姿勢で日本の社会、なかんずく経済界が取り組もうとしているかは、日本の将来を占う上で注目されます。確かに、多くの日本の企業は、個別には温暖化対策に真剣に取り組んでいるのを私もよく承知しているつもりです。しかし、一部とはいえ、かなりの中枢の部分から様々な声が聞こえてきます。曰く「京都議定書は日米和親条約などを定めた安政の条約以来の不平等条約」、曰く「地球温暖化というが都市部でのヒートアイランド現象の数値を拾っているだけ」、曰く「日本は乾いた雑巾を絞るようなもので、これ以上出来ることは何もない」、曰く「政府は温暖化対策について何もしないのが最善」、曰く「90年を京都議定書の基準年にしたのは、EUの陰謀」、また曰く「温暖化対策をすると失業者が増える」などなど、およそ時代離れした議論が大手を振っているようです。このようなことを見聞きすると、日本は世界の温暖化対策から取り残されるだけでなく、環境技術の優位性を失ってしまうのではと危惧するのは、私だけではないようです。

本年1月31日の朝日新聞紙上で小池百合子前環境大臣は、「日本では再生可能エネルギー利用への努力が、環境先進国に比べていま一つだ。技術はあるが、普及が徹底していない。環境税に反対しているのは、この国や業界、自社に自信のない人たちだ。この国の強みがどこにあるのかを理解している人は有効性を理解している。排出量取引についても日本は遅れている。「あれも嫌」「これも嫌」と言っている間に世界はどんどん進んでいる。米国は京都議定書には参加していないが、次のゲームが始まった時にはリード役になっているかもしれない。日本だけがあっという間に取り残される可能性さえある。」と語っています。これを見ると小池さんも、あれも嫌、これも嫌と言っている人たちに環境税や規制の必要性、戦略性を環境大臣在任中に説得し、納得させることが出来ていれば、彼女のクールビズも風呂敷も大いに映えたのに、と残念な気もします。

その数日後、2月5日付の日経社説は、冒頭で、「実直にひた走るトップランナーのはずが、どこでコースを間違えたのか、気が付けば先頭集団のはるか後方にいる。地球温暖化を巡る国際交渉で、環境先進国・日本の位置取りが、かなり怪しくなってきた。」と書き出しています。

小池さんや日経社説と同様、私も猛烈な産業公害対策の最前線にいた人間として、今の日本での地球温暖化議論の能天気ぶりに危機感を覚えます。せめて、あの貴重な経験を思い出し、また様々に挑戦し始めた欧米の前向きで戦略性ある姿勢に学ばなければ、日本が今は得意技としているせっかくの環境対策や省エネの技術の優位性が失われる日はそう遠くないのではないかと心配しています。政治や行政が手遅れにならぬ対策を一刻も早く実施することを期待するばかりです。