2007年4月号会報 巻頭言「風」より

これでいいのか?教育改革

藤村 コノヱ


安倍政権の目玉の一つである教育基本法が、昨年末、あれよあれよという間に改正されました。改正以前のものと比較すると、教育の目標や実施に関する部分がかなり細部なものになっており、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」という、いわば環境教育に関する項目も含まれています。しかし目標・実施部分があまりに詳細なため国家統制が強まるのでは、という反対意見も多く聞かれました。この改正を受けて、1月24日には、内閣に設置された教育再生会議が、ゆとり教育の見直し、いじめ対策、教育委員会の抜本的見直しなど「七つの提言」と、学校職員免許法の改正など「四つの緊急対応」を盛り込んだ第一次報告を取りまとめ公表しました。

確かに、昨今の子どもたちの殺伐とした状況や学力低下の現状を見ていると、国づくりの基本となる教育を見直そうとする流れ自体は、当然であり歓迎すべきことです。そしてそれは、市場経済に踊らされ、持続可能な社会の基盤である「人を育てる」教育をないがしろにしてきた私たち全ての国民の責任として、まさに「社会総がかり」で取り組まなければならない課題です。

ただ残念なことに、今回の改正法や教育再生会議の第一次報告を見る限り、根本的なことには触れられておらず、現在の教育の問題にどう対応するかといった「対処療法」が述べられているに過ぎない気がします。すなわち、日本はどんな国を目指すのか(「美しい国」だけでは何も分かりません)、その中でどのような人間を育てるのか。特に、市場経済の拡大の中で、その流れに完全に巻き込まれている現在の教育を、持続可能な社会を支える教育として、どう立て直していくかという本質的な視点は殆ど見られず、現在の経済システムを“是”としたうえでの議論でしかないように思われます。

しかし、現在の教育に関わる問題をみると、「金が全て」の価値観や「経済至上主義」に立脚した社会システム、そして倫理観や責任感、志といった日本人の品格をなくした大人社会に由来することばかりのように思えます。例えば、幼稚園から大学までの間に私立と公立では約3倍の教育費の違いがある中で、親の経済格差が子どもの教育の格差を生み、等しく教育を受ける権利は侵害されつつあります。また親が手間隙かけてやるべき食育や家庭教育も、コンビニや塾で代用するといった「子育て・教育の商品化」もますます進んでいます。さらにブランド服がよく売れるなど子ども市場は好調だそうで、「子どもは最大の消費者・最大のお客様」とする考え方も当たり前になっています。一方、大問題になっているいじめも、大人の世界の弱肉強食の競争原理が子どもの世界にまで広がった結果と考えられますし、子どもたちに社会人としての規範や基本がないといっても、海外旅行はしても給食費は払わない親や、不正・不祥事を繰り返す政治家や企業のリーダーたちを日常的に見ていて、社会規範など身につくはずがありません。「子どもは社会の鏡」。教育は子どもの問題ではなく、大人の問題なのです。

では、教育をどう立て直していくのか?教育と経済の関係をどう考えるのか?です。環境問題はもとより、戦後の様々な社会システムの歪が顕在化した以上、まずは、目指すべき社会像(私たちは21世紀の社会像として持続可能な社会を提案していますが)を明確にし、その上で、教育の目的や役割を明確にすることです。4年前に、当会で環境教育推進法の制定を求めて活動した時にも、この点を政府側に強く要請しましたが、教育再生が言われる今こそ、国の目指すべき姿やその中での人間像をしっかり議論してほしいと思います。 そしてその際には、教育の目的・役割は、経済社会のためだけにあるのではなく、「公人」としての、あるいは時代や社会の流れの如何にかかわらず、「一人の人間」としての「徳」や「智恵」を育むためにあることをしっかり認識した上での議論が不可欠です。

もともと資源の少ない日本は、「人こそ財」という思想で、「知育」と「徳育」の双方を備えた教育で、社会の持続性を保ってきた経緯があり、これこそ日本が世界に誇れることの一つだったはずです。その典型として江戸時代の寺子屋について以前に紹介しましたが、明治維新で西洋の新しい考え方が入ってきた時も、第二次大戦後アメリカ式の教育が導入された時代でも、当時の人たちはそれなりに踏ん張り、ただ流されるだけでなく、「知育」と「徳育」を備えた教育を継続しようとした経緯があります。いまほど教育をないがしろにした時代は、過去にはなかったように思いますし、「国民の幸福度」が世界178か国中90位の現状も(英国レスター大学エイドリアン・ホワイト教授の調査結果より)、ここからきていると思わずにいられません。そして私たちもこの点に注目して、グリーン経済部会では「持続可能な社会の中での教育」について議論を開始しています。

現在教育再生会議では、第二次報告に向け、大学教育まで視野に入れた検討を続けているようですし、「道徳」を教科にすることも提案されそうです。しかし、メンバーをみると、「徳育」の重要性を認める有識者もある程度含まれているものの、経済至上主義を是としたメンバーが多いのが気になります。今後も、経済社会に有利な人材の育成や経済発展に有利に働く「徳」ばかりが議論され、本質的な議論はあまり期待できないような気がします。しかし、“社会総がかり”というのは、社会経済のあり方も含めて取り組むことであり、それをやらなければ、内閣は国民に対する公約を破ったことになります。

幸い、今年は地方選や参院選など選挙の年でもあります。先見性も知恵もなく経済優先の道を突き進む政治家を選択するか、環境問題や教育といった困難でも本質的な問題に向きあい、持続可能な社会づくりに本気で取り組む政治家を選ぶかは、私たち国民です。持続可能な社会への道が開かれるか、本来の教育が取り戻せるかは、私たち国民の選択にかかっています。