2007年12月号会報 巻頭言「風」より

経団連への反論
―排出量取引は有効で不可欠です―

加藤 三郎


京都議定書の第一約束期間の開始を控えて、日本経団連が排出量取引について強く反対している意見やインタビュー記事を度々目にするようになった。この際、私自身も排出権取引に関する経団連の見解に改めて反論しておきたい。

コメントに先立って、経団連首脳部らの主張のうち、私なりに重要と思われる点を次のページ表の5点に絞って整理した。

まず第1点の政府による排出枠の設定が自由主義経済の原則を損なうかについては、日本はかつて、硫黄酸化物、窒素酸化物、水質(COD)についても地域的に総量枠を決めるやり方をした。その結果は、自由主義経済の原則を損なうどころか、むしろエネルギー源の多様化(例えば、重油からLNG、原子力)や、環境・省エネ技術の発展に大きく寄与し、ビジネスの拡大に繋がった。

温室効果ガスについての排出枠の設定は、イギリスで始まり、それがEUに拡大されたが、その国々は自由主義経済の本家本元の国。そのような国々で環境税とともに枠を設けて排出量取引を法制化したことが自由主義経済の原則を損なうどころか、むしろそれを発展させると判断したことは明らかだ。

現に、元世銀のチーフエコノミストで、英政府の経済顧問を務め、現在、ロンドン大学経済政治学部教授であるスターン氏は、11月26日付朝日新聞紙上で「気候変動への責任と経済成長は競合するものではない。むしろ気候変動への無責任のほうが経済成長を窒息させる。私たちは、正しい経済政策と適正なテクノロジー政策で排出量削減はできるのだと認識しなければならない。社会主義国での統制経済のようだとの声もあるが、まったく違う話だ。資本主義経済の中での市場の失敗を修理するという範囲内のことだ。資本主義経済がよりよく機能するためのものだ」と語っている。

しかし、もっと本質的なことは、なぜこのような方法を取ることになったかだ。IPCCが明らかにしているように、温室効果ガスの量は年々増加し、

どのような対応をするにしても、濃度は今後20~30年増加が止まらない。そのような中で温暖化のインパクトはますます強くなる。だから科学に基づいて、世界は2050年に向けて半減という総排出枠の設定に、日本の首相もコミットしている。

経済成長も大切だが、問題は、その「経済」の中身であり、どう「成長」するかだ。業種別に、生産量当たりの削減目標を設けるだけでは、生産量が増えれば排出量も増えてしまうので、全体の総排出枠の中で業種別に割当てる考え方を生かしていくべきであろう。

2点目の、公平、正当な枠を設定すべしということには何の異論もない。規制であれ、税であれ人の権利を規制するものが公平、正当でなければならないことは言うまでもない。しかし、何が公平、正当かについては常に議論がある。現に日本国内でも、例えば、正規社員と非正規社員との間の賃金の不公平などについて、深刻な議論が絶えない。省エネ努力も何も日本だけでなく他の国も様々な取組を行っている。日本では、生産分野の省エネ努力は世界でも今は最も進んでいる。しかし、例えば、住宅の作り方といった点で他の国に比べて遅れている面もある。したがって、どの国にとっても何が公平、正当であるかは、様々な見方や評価が可能だ。ヨーロッパでは、経験を積みながら修正する方法を取っている。

世界中でやがてこの排出量取引が行われるようになるだろうが、先進国、途上国の国々、様々な業種が入ってくるので、当然ながら公平性確保の努力は不断に必要となる(ドイツのメルケル首相は、先進国、途上国を問わず、基本的には1人あたり同等の排出量が公平と主張)。最初から公平、正当でないから駄目というのは、人間がつくる制度では難しい。

生産拠点を海外に移さざるを得ないという話もよく耳にするが、かつて私自身も環境庁で、窒素酸化物の総量規制を導入しようとした時に「こんな厳しい総量規制をしたら海外に出て行かざるを得ない。」とよく聞かされた。しかし現実には、環境・公害規制の厳しさを唯一ないしは主要な理由にして、海外に出て行った企業は、私の知る限りない。今、多くの日本企業が海外に進出しているが、それは労働力や土地の安さ、市場への近さなどの経済的理由によるものではないか。規制の厳しさが考慮されても、それが工場移転の本質的な理由ではないと私は理解している。

3点目の排出量取引は技術開発をないがしろにするというのも、不思議な意見だ。排出枠がいつまでも緩いままならそうなるかもしれないが、温暖化の進行とともに枠は狭まるので、技術革新は不可欠だ。現に⑤にあるように、経団連の首脳自身がそれを予想し、政府に支援を求めている。

4点目の自主行動計画だが、90年代に入って経団連を中心に企業が、環境ISOの導入、環境報告書の発刊、環境会計の導入、産廃の分別、回収、再利用など様々な活動を自主的に取っており、それが環境の保全とともに、企業に経済的メリットをもたらし、相当な成果を上げていることを評価するのに私はやぶさかではない。しかし、温室効果ガスを今後大幅に削減するのに企業の自主行動に委ねるだけで達成できるだろうか。京都議定書の6%削減だけでも鉄鋼、電力を含めてかなり苦労しているのに、将来20%、30%削減となり、2050年に向けて先進国では8割前後削減しなければならなくなることを考えると、経団連が音頭を取って、それこそ公平、正当な排出削減ができるとは、私はもとより良識ある企業人も思っていないのではないか。

5点目の革新的な技術開発を進めていくためには、開発費用が膨大になり、単一の業界では負担できないというのは、その通りだと思う。まさにこういう支援を政府がやるための財源として環境税の導入が必要で、その税収を温暖化対策に必要な技術や製品、農林業を含むサービスの開発に充てるというのが、企業の健全な発展にとっても最も賢明なやり方であろう。

以上、本稿では最近よく目にする排出量取引に関してのみコメントしたが、経団連関係者が、そもそも地球温暖化の科学について、あるいは税や一般的な排出規制のあり方について、どのようにお考えなのか、是非知りたいし、また機会があればコメントしたい。