2011年3月号会報 巻頭言「風」より

民主主義を見直す

藤村 コノヱ


エジプトでは約30年続いたムバラク政権が市民の力で崩壊、それに続いて中東各地で反政府デモが活発化するなど、民主化の動きが盛んです。民主化は、一般には政治体制として民主主義が拡大する過程で、市民が自由を勝ち取る点で歓迎されることです。しかし、その民主主義も限界にきているのではないかという声も聞かれます。実際、日本でも民主主義が本当にうまく機能しているのだろうかと思う場面が多々あることも事実です。

一つは、温暖化問題です。環境問題、特に地球温暖化は将来世代も含め全ての人類に関わる問題であり、多様な国民の意見が政治・政策などに反映されることが重要です。ところが近年の日本の温暖化政策を見ていると、一部の声しか政治に届いていないとしか思えない状況が続いています。具体的には、温暖化防止対策の一つの有効な手段である排出量取引制度についてです。この制度は民主党のマニフェストにも記載され、現在継続審議になっている地球温暖化対策基本法(基本法)の条文にも書き込まれていました。そして、私たちNPOも連携してMake the Ruleキャンペーンを行い、ロビー活動や集会、さらに全国から多くの署名も集めるなどして、排出量取引制度も含め有効な政策を盛り込んだ温暖化防止のための強力な法律制定を働きかけてきました。しかし、この制度に反対する経産省と一部産業界の猛烈な巻き返しに、多くの民主党政治家もすっかり取り込まれ、実質的な導入は先送りとなり、基本法案自体が骨抜きの情けない姿になりそうな状況です。

この状況は、1998年に成立した地球温暖化対策推進法(温対法)と同様の推移をたどっているように思えます。当時も、環境庁が工場・自動車からの排出基準設定や都道府県知事への排出量届出等を盛り込んだ骨子案を提出。そして、今ほどではありませんが、温暖化問題に取り組むNGOが連携し、署名を集めたり、国会へのロビー活動を展開したりしていましたが、やはり猛烈な産業界と通産省の反対により、これら項目は全面削除、結局は骨抜きにされた経緯があります。その結果、現在に至るまで日本のCO2排出量は減少しておらず、骨抜き法がいかに実効性の低いものだったかは疑う余地がありません。現在審議中の基本法も、曖昧な前提付きの目標とともに骨抜きのままで成立しても、その後の実効性は期待できないと思われます。十数年たった今も、その間に政権交代したにも関わらず、一部の声で温暖化政策が後退あるいは歪められてしまうという現状、国民の声が届かない現状が、本当の民主主義と言えるのかという疑問と失望がわいてきます。

こうした状況は日本に限らず、民主主義のリーダーであったはずのアメリカでも同様のことが起きています。オバマ大統領は全世界の大きな期待とともに誕生し、温暖化問題にも熱心に取り組むことを公約として掲げました。そして、政権の優先事項として、温室効果ガス排出量を制限するための包括的エネルギー法案を提出。しかしこの法案も共和党の猛反対で成立は頓挫してしまいました。この裏には、日本以上のエネルギー業界の猛烈なロビー活動があったことを、今年旭硝子財団のブループラネット賞を受賞したジェームズ・ハンセン博士が、授賞記者会見の場で怒りを込めて発言されていました。自由と平等の国と言われるアメリカでも、現実は決して平等な社会ではなく、金や権力を持つ者の声が政治的にも大きな力を持つということを再認識させられる発言でした。

さらに、最近の温暖化に関する様々な国際交渉でも、先進国も途上国も自国の利益ばかりを主張しており、こうした場面を見るにつけ、将来世代の命運にも大きな影響を与える事柄について、民主的な決定が本当に可能なのだろうかという思いが募ります。

日本では、私たちの声を政治に届ける方法として、まず選挙があります。上記の国の温暖化政策のような場合は、個人としてはパブリックコメントを出したり公聴会に参加することもできます。また、私たちNPOとしては、それらに加えて、直接議員に働きかけたり、審議会のメンバーになったり、政党の部会や国会審議の場で参考人としてコメントする場が与えられることもあります。しかし残念ながら、現在の選挙制度では特定の問題に対する個人の意向を示すことはできません。またパブリックコメントや公聴会も特定の利害関係者の参加がほとんどです。実際、最近の温暖化政策に関するパブリックコメントや公聴会への参加は動員された産業界関係者が多数であり、一般の参加はほとんどありませんでした。また審議会メンバーの人選は役所が行うため、役所にとって都合のいい人が大多数を占めるのが常です。最近はNPOも審議会メンバーに加わることも増えましたが、多勢に無勢、その発言が政策に反映されることはほとんどありません。

根本的には、国民の政治離れや無関心が一番の問題であり、教育、特に環境教育で、一人ひとりの公共意識や参加意識、参加能力を高めていくことが不可欠だというのが私のいつもの主張です。しかし、民主主義国家の日本としては、国民の声が届かない現状、形骸化しているこれまでの参加の仕組みを改善しなければならないことは明らかです。そして、少なくとも参加の意思と能力を持って政策形成に関わろうとする環境文明21のようなNPOの参加を制度として保障すべきと思うのです。

民主主義が現時点では最善の政治形態だと思われますが、以上のように温暖化問題一つをとっても、その限界や欠点が見えてきていることも確かです。その限界を認識し、民主主義といっても様々な形態(例えば、①官僚層が決定的優位を持つエリート主義的民主主義、②市民が参加を通じて市民としての価値と喜びを学べる参加型民主主義、③単に諸利益のためではなく、自由で平等な市民の活発な討議があり、その結果何らかの合意形成がなされるという過程を重視する討議型民主主義など)があることを踏まえ、どのような民主主義を進めていくことが、持続可能な環境文明社会を築く上で最善なのかを考えていく時期に来ているのではないでしょうか。

当会の立法化部会では、しばらくの間、日本の民主主義をより強固にするための要件、例えば政党や議員の要件と役割、選挙制度、特定の重要案件についての国民投票など将来世代の意見の適正な反映方法など、環境文明社会における政治のあり方を考えてみることにしています。ご関心のある方は是非ご参加ください。