2012年4月号会報 巻頭言「風」より

世界の持続可能性は前進したか

加藤 三郎


地球サミットから20年

最近「リオ+20」という言葉が環境関係者の間でしばしば聞かれるようになってきた。その背景は、1992年6月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された「国連環境開発会議」すなわち「地球サミット」から、今年6月で20年になるので、それを記念した会議が再びリオで開催されるためである。この地球サミットは、私自身も、公務員時代に参加したが、メインテーマは、「世界の持続可能な開発をいかに確保するか」というもの。21世紀に向けて最も重要な会議と位置づけ、それ以前の大臣クラスの会議から、各国の首脳クラスの会議に格上げして、あえて「サミット」とした。実際、国会審議のために出られなかった宮沢首相(当時)を除いては、ほとんどの主要国から大統領や首相が参集した文字通りのサミットになり、そこから今日にまで繋がる多くの成果が生まれた。

主だった成果を列挙すると、地球温暖化防止のための条約、生物多様性を保護する条約、さらに環境と開発を巡る大原則を打ち立てた「リオ宣言」、失われていく森林を守るための文書、さらには後に条約として結実する砂漠化対策などが、直接の成果として出てきた画期的な会議である。このほかにも、政府の代表団だけではなく、各種の民間団体、NGO、自治体もリオの会議には、いろいろな形で参加をした。この過程の中から、ISO14001に代表されるような環境マネジメントシステムを民間企業が自主的に立ち上げる仕組み作りが行われ、それに少数民族、女性、青年など、従来、この種の会議には参画していなかった多様な主体も積極的に参加して大いに盛り上げた。

ちなみに私自身は、世界のNGOが地球サミットの成功のためにいかに活発・有効に活動し、影響力を行使しつつあるかを目の当たりにして、日本でもそのようなことを可能にしたいという強い思いから、その翌年に役所を辞め、当会を設立しているので、当会のルーツは地球サミットにさかのぼるといっても過言ではない。

このように、地球サミット自体は、多様な人・組織の参加の下、今日まで続く様々な枠組みの構築に大きな成果を挙げたが、それから20年経った現在、世界の状況がどうなったのかを改めて、再検討してみようというのが、「リオ+20」の主旨である。

この20年に何があったか

地球サミット後、国際的にも国内においても、確かに大きな変化があった。条約の制定については、先ほど触れたがその後の20年の間に、例えば、地球温暖化については、京都議定書が生まれ(1997年)、発効(2005年)し、昨年のCOP17において、同議定書の延長が決まり、2015年までに新しい法的枠組みを作るという合意が得られている。生物多様性についても、一昨年、名古屋でCOP10が開催され、ここでも数値目標を含む生物多様性をステップアップするための仕組みが合意された。また、ISOについて言えば、当初は、環境マネジメントが主体であったが、今では拡大・充実され、例えば、各組織、団体の社会的責任(SR)を明らかにするためのISO26000、最近では、エネルギーの管理を体系的に実施するためのISO50001など、民間企業中心の自主的な枠組みではあっても、実質的にかなりの効果を挙げている。

各国でも様々な法律や組織が制定されている。日本では、地球サミットの翌年には、それ以前の公害対策基本法を抜本的に変えて、環境基本法が制定されたのをはじめとし、2000年には、循環型社会形成推進基本法、2008年には生物多様性基本法が制定されている。このような基本法の制定だけでなく、各種リサイクル法の実施法や、省エネ推進の強化、さらには、グリーン購入法など、様々な法制度が出来ている。日本の役所の組織も、2001年には環境庁が環境省に格上げされた。

このように地球サミット後、確かに国際的にも国内的にも持続可能性を高めるための諸制度が整備されたことは間違いない。このように持続可能性を高めるための制度は確かに進んだが、その結果として、地球環境や我々人間社会の持続可能性が92年よりも前進したかというと残念ながらそうは言えない。次の表を見ていただきたい。これは、世界の持続可能性が高まっているかどうかについて、かねてから気になっていた主要項目について改めて数字的にまとめたものである。

私自身、例えば、世界の人口増加とかCO2排出量の増加とかそれぞれ断片的には把握していたが、このように一表にまとめてみるとたった20年の間にも、極めて大きな変化が生じており、それはいずれも環境的にも、資源的にも人類社会の持続可能性を高めるようには動いていないことが明瞭だ。特に、世界の人口がこの20年間に日本の総人口の12.5倍に匹敵する16億の増加があった事実には、改めて驚いた。世界は16億も増えた人々に、食べ物を与え、着る物を与え、住む場所を与え、職業を与え、交通など移動手段を与えなければならない。それはいずれも、有限ですでに傷ついている地球環境により多くの負荷をかけるものであり、まず環境面の持続性が危ういことが理解できる。しかも、この20年の間に中国、インド、インドネシアといった人口の多い国が、経済的に急速に発展した。地球サミットの当時でも、中国はもちろん大国の一つではあったけれども、この20年の間に、世界第二位の経済大国となり、国際政治や経済に多大な影響を及ぼす国になろうとは、20年前に正確に予想した人は少なかったのではなかろうか。日本にいると気付きにくいが、アフリカや南アメリカにおいて、猛烈な森林の減少が続いている結果、世界的には、日本の国土の総面積の3.6倍にも相当する135万㎞2森林が、この20年間で失われてしまっているのは、まさに危機的状況である。なぜなら、森林の減少とともに、生物の多様性も失われ、水資源や気候システムの安定性も著しく損なわれているからだ。

グローバル経済化によって貧富の差も広がり、先進国途上国を問わず、この問題が、社会問題の域を超え、政治的にも大きな影響を与えるに至っている。最も豊かな国アメリカですら、貧富の差は顕著になり、昨年の9月から、国民の99%はわずか1%に過ぎない富裕層に経済面で支配されているとして、ウォール街を占拠しようという運動が長いこと続いたのは、その象徴的出来事だ。いずれにせよ、人類社会は、限られた空間や資源の中で膨張し、その過程で抜き差しならない貧富の格差を引き起こし、人間社会の持続可能性に暗い影を落とすに至っている。

一歩前進、五歩後退?

このようなことを考慮に入れると、結局、世界は、真に持続可能な社会を築くという観点からは、どの程度前進したのか、あるいは後退したのかという問いに直面する。

読者の皆様にもしっかり考えてもらいたいのだが、私の率直な判定は、“一歩前進、五歩後退”で、極めて深刻な状況にある、というもの。多分、この判定に対しては、進んでいる面の評価が足りず、厳しすぎるとの批判もあるだろうが、表に示した数値を眺めているだけで、これでも甘すぎると感じている。できるだけ早く、せめて「三歩前進、三歩後退」くらいに持ち込み、2030年頃までには「五歩前進、二歩後退」位にしないと、私たちの未来、つまり次世代が生きる世界は本当に危ういとの危惧の念を拭えない。

6月の中下旬にブラジルで開催される一連の「リオ+20」会合では、世界が次世代のために持続性を回復する足場をしっかり築けるかどうかに私たちは注視していきたい。