2012年7月号会報 巻頭言「風」より

倫理ある政治と経済は望めないのか?

藤村 コノヱ


6月7日付朝日新聞に、「道徳は市場に勝てるか」というタイトルで、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授のインタビュー記事が掲載されたのをご覧なった方も多いかと思います。サンデル教授はテレビの白熱授業で一躍有名になった方で、その主張は私たち環境文明21の主張とも通じるところが多いのですが、今回の記事は、特に、最近感じていることとぴったり重なったので、興味深く読みました。

「市場の論理が社会の隅々に入り込み、道徳や価値の議論が押されっぱなしでいいのか」という問いに応えていくものです。サンデル教授は、市場経済は肯定していますが、今や社会全体の意味を規定するほど市場の論理が社会の多くの領域に入り込み、道徳に関する領域にまで市場が介入している状況を危惧しています。そして、両者の線引きについて時間をかけて議論してこなかったことや、その原因は政治にあり、道徳的に空疎な議論が政治の空白をもたらし、それが今日の政治における原理主義(この場合の原理主義は、困難な問題に対して万能な論理や解決策があると主張すること)を呼び込んでいると指摘しています。さらに、「人が集まり時間をかけて話し合う。結論が自分の考えと違っても、参加したことへの満足感や尊重されたという意識が得られ、こうした市民としての尊厳こそが政治で重要である」と述べ、道徳に中立な政治は好ましくないし可能でもないと締めくくっています。議論こそが民主主義の原点であり、道徳的な議論が質の高い政治を生み出すにもかかわらず、それがなされてこなかったことで、政治は堕落し、道徳(倫理)なき市場が蔓延している、というように私には読み取れ、そして今の日本はこの状態にあるように思えるのです。

そう思うひとつが、大飯原発の再稼働を巡る動きです。福島第一原子力発電所事故により、それまでの生活の全てを失い今なお厳しい状況に置かれている人たちへの償い、そして事故原因の解明は、1年4カ月たった今でも、ほとんど進んでいない状況です。また福島原発自体が今なお非常に危険な状態にあるのも事実だと思います。一方再稼働が進められている大飯原発に関しても、福島の教訓を活かした安全対策や施設建設は数年後とのこと。このように何一つ問題は解決していない中で、夏場の電力を賄うには今再稼働しなければ間に合わない、原発ゼロの状況が続くと電力会社の経営が悪化するという、まさに経済優先の考え方だけで、政治が動き、再稼働が進められている状況です。

この件について、野田総理は「私の責任において再稼働を判断した」「精神論だけでは解決しない」旨の発言をしています。しかし、政治家一人でどのような責任が取れるというのか、全く納得のいかない発言である上に、そもそもこの問題は精神論ではなく、まさに人間として、あるいは政治家としての倫理が問われる問題ではないかと思うのです。環境知事として有名な滋賀県の嘉田知事が「経済界から相当の圧力があり苦渋の決断であった」旨述べていますが、野田総理に限らず、関西圏の首長も結局は経済界に屈したと言わざるを得ず、まさに政治も倫理も全て市場の論理に抑え込まれた状態ではないでしょうか。

ドイツ政府は福島原発事故直後、2010年に決めたばかりの原発操業期間延長計画を凍結し、老朽化した原発7基を停止するとともに、2020年の脱原発を決めました。これには科学的な議論に加え、宗教界を含む各界の専門家からなる倫理委員会からの答申が大きく影響したと言われています。

日常的な国民の議論もこの国には根付いています。 それに比べて、日本では科学的検証も終わらぬまま、国民的議論も、倫理的考察も行わないままに、単に経済性だけで再稼働に踏み切ったわけです。勿論、このまま直ちに全ての原発を廃止することは現実的ではないと思います。しかし、まずは脱原発の時期を明確に示す、その上で時間をかけて科学的検証、倫理的考察、そして国民的議論を行う。そして、廃止すべきものは廃止に向け、一定期間再稼働出来るものはその時期を判断することが政治に求められる責任であり、倫理ではないかと思うのです。

「5月5日の子どもの日に日本にある全ての原発が止まった。そして6月17日の父の日に大飯原発再稼働が決まった」と言った人がいます。将来世代も含め全ての生命の基盤である環境やエネルギー問題について倫理的な議論が全くないことは、長い歴史と精神性を重んじてきた日本人として恥ずかしいことです。そして、短期的で表面的な経済論理に押されてばかりの大人たちは、一体子どもたちの将来にどう責任をとるというのでしょうか。

もう一つは、東北の復興についてです。昨年後半から、東北の地元キーパーソン育成事業の関係で、度々東北に行く機会がありますが、そのたびに、表には出ない、様々な話を聞きます。当初は仙台の復興バブルの話、失業保険給付期間は働けないのでパチンコ屋が大繁盛という話、いち早く被災地に出店した某有名企業では最低賃金しか出していないという話、集団移転で地価が高騰しているという話、復興予算を見込んでこの際だからと企業は多めに見積もりを出すという話、そして最近は復興に伴う大規模プロジェクトで様々な大手企業が参入し、地元雇用だ、環境都市だと表面的にはいいことを言いながら、結局は東京の大手が全てを持っていき地元には仕事もお金もあまり落ちない、等々の話です。実際ワークショップ参加者からも、復興で一時的に賑わっても将来が心配だという声をよく聞きます。経済不況が続く中で、そこにしか収益が見込めないという企業の事情もあるようです。しかし、それでも、人の不幸まで損得勘定に変えてしまうのではなく、例えば、契約の際には必ず何割かは地元雇用を確保し継続的な地元への利益還元を明確にする、あるいは地元企業への発注を原則とするなど、今こそ倫理ある経済活動をもって、企業の真の社会的責任や企業倫理を果たしてほしいと思うのです。また、補助金を出す政府・自治体も、「持続可能な地域づくりにつながる事業」に予算を配分し後押しするなどして、市場を正す政治そして自治を取り戻してほしいものです。

リオ+20では「グリーン経済」への移行が最大のテーマでしたが、日本をはじめ主要国の首脳レベルの参加はわずかだったそうです。意志ある政治をもって倫理ある持続可能な経済活動に転換していくことを3.11を経験した日本だからこそ、先頭に立って進めてほしいと思うのですが…。