2012年8月号会報 巻頭言「風」より

世界が共有しなかった「グリーン経済」

加藤 三郎


1.「リオ+20」結果概観

去る6月20日から3日間、リオデジャネイロにおいて、「リオ+20」会合が開催された。この会合に向けては、国連は1年以上も前から相当な準備を重ね、世界191か国・地域から4万人を超す人が参加するなど、参加人数は最大規模だったが、成果は、乏しい内容に留まってしまった。

原因として考えられるのは、40年前に国連が初めて開催した人間環境会議以来続いている、環境開発問題を巡る先進国対途上国の利害対立の溝が今回も埋まらなかったこと。そして、先進国側からはオバマ大統領が出席しなかっただけでなく、環境に熱心なEUの首脳のうちフランス大統領以外は姿を現さず、野田首相は消費税問題に足を取られるなど、それぞれの国内の政治問題に忙殺されて、人類社会の将来に向けての重要課題に取り組む余裕に欠いていたことも響いた。

このような中で、辛うじて得られた主な成果は、①政治宣言「我々が望む未来」の採択②持続可能な開発にとって「グリーン経済」は、重要な手段の一つと認識③持続可能な開発目標については、2015年以前に合意を目指す④地球サミット後に設置された「持続可能な開発委員会」を格上げし、閣僚級以上の「ハイレベル政治フォーラム」を組織⑤UNEP(国連環境庁)の財政基盤を強化することなどに合意したことが挙げられよう。

2.「グリーン経済」を巡る古典的な論争

国連及びホスト国のブラジル政府は、採択する政治宣言のなかで、「グリーン経済」を大きく位置づけ、先進国も途上国もその実現に向けて、力強く一歩を踏み出すシナリオを考えていた。しかしながら、準備の段階から、このグリーン経済の内容や意味付けについて、先進国と途上国の間の大きな溝が埋らず、結局たどりついたのは「グリーン経済は持続可能な開発や貧困の撲滅にとって重要な手段の一つ」という位置づけに留まった。これについて少し考えてみよう。

そもそも「グリーン経済」というものは、一口で言えば、21世紀の諸課題に対応する経済の在り方のことである。そして、21世紀の諸課題とは何かについては、リオ会合直前まで詰めた文案によると、まず環境面では、持続不可能な生産・消費形態、海洋生物資源を含む資源の持続不可能な利用、気候変動、海洋酸性化、生物多様性の喪失、干ばつ・砂漠化および都市劣化、健康、水と衛生、自然災害に対する備え、開発に悪影響を与える不法活動などを列挙している。そして、特に「科学的証拠によって明らかとなった環境劣化と天然資源の枯渇が続けば、貧困撲滅や持続可能な開発の追求に向けた努力は無駄になる」と指摘している。 また社会面では、地球上で約10億人が依然として極度の貧困状態にあること、6人に1人が栄養不良であり、さらに、高いレベルの失業率および不完全な雇用が若年層に続いているので、若年層の雇用に積極的に取り組む必要性を強調していた。

今回もこのように21世紀の諸課題を整理した上で、それに対応する「グリーン経済」の概念を明確化する努力をしたが、先進国と途上国の考え方に大きな開きがあるために統一的な理解には到達し得なかった。しかし、準備された文書を見る限りでは、「グリーン経済」には次のような特色があると私には思われる。①持続可能な開発とイノベーションを牽引する潜在能力があること②天然資源を、持続可能で環境影響を抑制する方法で管理する能力を高めること③生態系サービスの保全、支援を拡大すること④持続可能な生産・消費を促進すること⑤若年層に向けて良質な雇用を創出する可能性があること⑥開発途上国における小規模農・水産業者や先住民の慣行によって、土地劣化や砂漠化の抑制、食料安全保障と貧困層の生計の強化、国内生産と経済成長の活性化を促すことなどである。

しかし、この「グリーン経済」について、例えばボリビアのモラレス大統領は「新たな植民地主義だ。環境を破壊した資本主義国が、貧しい国々に自然保護の責任を負わせ資源の利用を制限し、罰しようとしている。環境主義の名の下に政策に干渉するメカニズムをつくりたいのだ。(7月12日付朝日新聞)」と厳しく非難している。率直に言って私は、この認識には驚く一方で、先進国企業が途上国において荒々しい森林開発、農地獲得、資源収奪を繰り返している現実を知ると、このような批判が出たとしてもおかしくない実態があることも認めざるを得ない。20年前、地球サミットをリードしたゴールデンベルグ元ブラジル環境大臣は今回も「機が熟しておらず、途上国も新興国もグリーン経済で成長できる確証を持っていない。先進国を中心に成功事例を積み上げ、利点を示していかなければならない(6月22日付毎日新聞)」と指摘しているのは妥当な判断だと思われる。

3.重い宿題

このように、「グリーン経済」という私たちにとっては当たり前と思われるコンセプトに対しても、先進国は途上国の経済開発を制限しようとしているとか、新手の植民地主義だという非難が途上国から浴びせられる状況にある。一方先進国は、主要な首脳がほとんど欠席したことが示すように、足元の問題に精力を集中して人類の未来を切り開くといった中長期的課題には真剣に向き合わなかったことが残念だ。

このようなことを繰り返していくと、人類が安心して身をゆだねられる新しい経済社会を築くために必要な時間がどんどん削られ、ついには時間切れになってしまうことが心配でならない。これを回避し、持続可能な未来を創るためには、国内でも国際社会においても意思決定を広範な国民参加、すなわち、女性、子供と青少年、先住民、NGO、自治体、企業と産業、科学・技術界、農業者などあらゆる分野やレベルの人々の意味ある参加を促し、短期志向で内向きの政治がもたらした遅延や空白を埋めていくほかないと私は考えている。