2015年9月号会報 巻頭言「風」より

限界にきたか、「男社会」

藤村 コノヱ


戦後70年ということもあってか、今年は国内だけでなく海外メディアも含めて戦争関連報道が多く、安保法案への懸念も重なって、これまでになく戦争と平和について考えることの多い夏でした。また、電力は足りているにもかかわらず、人々の安心・安全な暮らしより電力会社の経営や短期的経済性を最優先して川内原発が再稼働されました。そして、連日伝えられる日本及び世界で頻発する異常気象のニュース。不安な事が続いていますが、これらには時代や内容は異なるものの、いくつかの共通点があるように思えます。

一つは、最終的な責任が曖昧にされている点です。第二次大戦終結の際、昭和天皇が「全ての責任は私一人にある」旨マッカーサーに告げたと言われています。しかし、開戦の責任も含め、真の責任所在を明確にすることを日本人は避けてきました。一方、原発に関しても福島事故の責任は誰にあるのか、これからも起こり得る事故や核廃棄物処理に関して、政府も事業者も規制委員会も一定の責任はあるとしつつも、最終的責任の所在は不明です。さらに、気候変動に関してもC02排出の責任は全ての人にありますが、適切な対応が遅れ結果的に深刻な被害が社会全体に及んだ場合の責任は誰にあるのかについての議論は殆どありません。こうした無責任体質が何時から、何故生じたかについては諸説あるようです。しかし、戦争や原発、異常気象など国民の生命・財産に係ることに対する最終責任は国家にあると思うのですが、今も昔も責任を明確にすることを日本は避けています。

二つ目は、起きるであろうリスクに対する感覚、先を見通す想像力が欠落している点です。第二次大戦時は今ほどの情報はなく、多くの国民は「大本営」発表に騙され、また先を考える余裕がなかったことは想像できます。しかし、国の中枢にいた人たちが、軍部の傲慢さや狂気じみた国粋主義の前では無力だったとしても、もう少し想像力を持ちリスクを考えていれば、あれほどの悲惨な状況には至らなかったのでは、と思えてなりません。また福島を経験した今であれば、100%安全とは言えない原発を使い続ければ、いつまた福島のような事故が起こり得るか、(廃棄物処理も含め)その被害が世代を越えて如何に甚大なものになるかは容易に想像がつくはずです。さらに気候変動に関しても、科学からの再三の警告だけでなく、多くの人が実感として危機を感じているはずです。しかし、そうした声も実感も、大きな権力によって、かき消されてしまうのが常です。

三つ目は、その結果いつも被害を受けるのは女性や子どもを含む社会的弱者だということです。戦争では多くの孤児が、原発事故でも子供の健康被害が心配ですし、核廃棄物は後世にまで残ります。さらに、異常気象の被害も弱い人々に集中しています。

歴史を経てこれだけの経験をしたのだから、事が起きた後ではなく、事前に先を見通し、議論を尽くし、万が一の対応と責任所在も極力明確にした上で、今後の方向を決めるべきだと思うのですが、そうした発想も行動も見られないのは不思議なくらいです。そして、何より権力ある者には責任が伴うという自覚がないことには驚かされます。

こうしてみると、偏見かもしれませんが、「男社会」の限界を感じてしまいます。

ペンシルバニア大学で男女1000人の脳構造の違いを研究した結果、男性の脳神経は前後への結合が、女性は左右への結合が強いという違いが判明、それが影響して双方の行動や考え方に大きな違いがあることが知られるようになりました。脳科学者・茂木健一郎氏の著書「男脳と女脳」によると、男性と女性で脳の使い方に違いがあることが最近の脳科学研究でわかってきたそうです。具体的には、男性はどちらかと言えば左脳(思考や論理を司る)優位で一つの事にこだわる「オタク脳」、女性は右脳(五感や直感等)優位でイメージや感情、人間関係を大切にする「きずな脳」だそうです。著書には、危険が好きな男と安全が好きな女、一つの方向に走りやすい男と極端な一つの方向に走りにくい女等々その違いが記されていて、個人差はあると思いつつ、納得いくこともかなりあります。

勿論、脳構造の違いだけが前述の要因とは思いません。しかし、日本の現状は、国会の女性議員比率は世界で156位の9.50%(1位ルワンダ63.8%、6位スウェーデン43.60%、24位ドイツ36.50%、94位米国19.30%)、企業管理職女性比率は11.1%で、米国43.7%、スウェーデン35.5%、ドイツ28.6%と比べて極端に低い値です。つまり、戦前戦後を通じて、社会的権力を持つ人の多くが男性で占められており、その結果、(良し悪しは別にして)行動と考え方が偏ってしまっている可能性は高いといえるのではないでしょうか。

今月号は、この先の不安が募る中、将来世代や自然・人々との共生よりも、軍事や経済など短期的視点で物事を進めがちな「男脳」とは異なる視点が不可欠との思いから、女性中心の執筆者で特集しました。勿論、「きずな脳」の男性もいれば、「オタク脳」の女性もいて、個人差はあります。(現女性閣僚三名は「男脳」ばかりに思えます。)また、男性だから、女性だからという議論は個人的にはあまり好きではありません。しかし、明らかに“変”な方向に向かっている現状を、まっとうな持続可能な社会への道に引き戻すには、社会には男女が存在し、双方に様々な特徴があることを認識し、互いにその良さを認め、活かし、バランスをとっていくことが不可欠です。男性から“危機的状況にある今は、女性の言動を重視しよう”といった声が発せられ、女性も「きずな脳」をフル回転させれば日本はもっといい国に変われると思うのです。