2015年10月号会報 巻頭言「風」より

パリ会議は歴史の分岐点

加藤 三郎


1.「パリ」までのいばら道

本年の暮れ、COP21と略称される気候変動(地球温暖化)対策に関する第21回目の国連会議がパリで開催される。このパリ会議は、2005年から施行されている京都議定書に代わり、2020年から施行されるはずの新たな法的枠組みが合意されるかどうかの極めて重要な会議で、環境関係者はもとより世界の政治・経済の首脳やローマ法王までが重大な関心を寄せ、固唾を飲んで見つめる会議だ。

京都議定書と何が違うことになるのか。一口に言えば、京都議定書では化石燃料をふんだんに使って物質的に極めて豊かな社会を構築した一方で、今日の温暖化の主要原因を作った欧米日などの先進国に対してのみCO2等の温室効果ガスの削減を義務付けた。それに対し、パリで合意を目指しているのは気候変動を何とか人間がコントロールし得るようになる将来を念頭に、中国やインドなどの新興国を含む全ての排出国に対し、何等かの抑制義務を課すとともに、途上国が対策を取るための資金や技術の支援を先進国などに約束させようとしている点である。

その具体的中身をどう決めるかについては、09年にコペンハーゲンで開催されたCOP15あたりから延々と議論され、そのたびに削減をどのように確保するのか、先進国と途上国との間の責任の差をどうするのか、さらに途上国への支援の額や形態などを巡って、毎回厳しい議論が重ねられたが、進展が見られなかった。しかし、昨年11月にオバマ大統領と習近平主席の間で、温暖化対策を進めるための話し合いが行われ、一定の合意に達した(本年9月にも両首脳はさらに具体化)ことで、停滞していた国際交渉にやっと弾みがつき、パリ合意への期待が大きくなってきた。

改めて振り返ってみると、温室効果ガスの存在を発見したのは、今から1世紀以上も前のこと。科学者たちが大気中のCO2濃度を本格的に観測し始めて半世紀余。さらに温室効果ガスの濃度がこのまま上昇したら、地球の大気は、どのくらい温暖化するかのシミュレーション結果を科学者が持ち寄り検討して30年。国連で気候変動対策のための枠組み条約を締結してから23年。つまり、科学者が気づき、政治・経済の専門家たちがこれを問題にし始め、国連を舞台にやっさもっさと議論をしているうちに、1世紀も経ってしまった。しかし、その間に地球の気候システムそのものはどんどん異常化し、とんでもない豪雨、洪水、スーパー台風、干ばつ、竜巻、山火事などが地球上で頻発。それを目の当たりにしながら、世界は温暖化に歯止めをかける有効な対策を取れず、時間を浪費している。

人工的に作られ、多方面で利用されていたフロンが成層圏のオゾン層を破壊すると科学者が警告したのが1974年。その警告はすぐには産業界に受け入れられなかったが、84年に南極上空で「オゾン層の穴」が観測されると、翌年には防止のための条約が、さらに2年後には規制を定めた議定書が成立した。その先例を思うと気候変動対策の場合との差があまりに大きいことに改めて愕然とする。

2.対策を遅らせたもの

人類社会としてのまとまった行動を取るのに、これほどの時間と紆余曲折を重ねた交渉を今なお必要とするのはなぜだろうか。

一つには、温暖化に関する科学が確かかどうかという懐疑があった。当初は温暖化しているかどうか、またその原因などについて、科学者の間にも確かに異論があったる。なぜなら、大気の温度は様々な自然要因(火山活動、黒点などの太陽活動、植生の状況、公転軌道、地軸の揺らぎなど)にも影響を受けるので、化石燃料の消費や森林の伐採などの人間活動から排出されるCO2などの量や濃度を温暖化の主因とみることには、異論があったのも当然である。しかし、国連が設置した専門家パネル(IPCC)で、データに基づき、長年に亘る極めて慎重な検討の結果、今日生じている地球の温暖化の原因は、自然由来よりも人間活動による方がはるかに確実だと断定されるに至っている。しかし、この科学の知見に、異を唱える人は、日本を含め世界中に今尚おり、しかも、社会的に重要なポストを占めている人も少なくない。そのため、国際的にも国内的にも一致した強力な対策を今も取り得ないでいる。2001年にブッシュ政権が成立すると、経済への悪影響とともに科学の不確実性を挙げて、京都議定書からすぐに離脱したのはその典型的な例である。従って、対策の遅れを強く危惧するローマ法王までが、アメリカの上下両院合同会議で地球温暖化が人間活動によって引き起こされたと強調(9月24日)せざるを得ないほどである。

もう一つ、より重要な理由は、産業革命以来2世紀余に亘って、まずは欧米日などの先進国が、近代科学技術を急速に進歩させ、その技術が生み出した機器や乗り物を動かす駆動力として、石炭・石油・天然ガスという化石燃料を大量に消費させてきた。20世紀の半ば以降は原子力、そして今世紀に入ってからは、太陽光・風力などの再生可能エネルギーも本格的に使い始めているものの、今なお、世界のエネルギーの大宋は化石燃料である(代替品がすぐに開発されたフロンとは異なる)。さらに、人口や経済の拡大に伴って、消費量が飛躍的に増加している紙や建材を賄うだけでなく、牧場や畑を拡大させるため、森林も広範に伐採し、ここからもCO2などの温室効果ガスの排出を増加させている。

このように、私たち一人ひとりの利便さ、快適さの源が、化石燃料や木材パルプなどの消費であるだけに温暖化を抑えるためにその利用を大幅に制限することは、社会から強い抵抗があることも頷ける。しかし、科学者たちは、気候異変から文明の全面的崩壊をギリギリ回避できる限界を人間活動が超えないようにするためには、今のままでゆくと、残された時間はあと30年程しかなく、その間に世界から温室効果ガスの排出を大幅に削減し、今世紀末に向けてはゼロないしマイナスにすることが必要と指摘している。つまり、営々と築き上げた都市工業文明を維持し拡大したいという人間の欲求(まして、1,2世紀遅れてきた中国・インドなど途上国の開発の意欲は極めて大きい)と気候変動への対応の必要性とがのっぴきならぬ対立局面を迎えているのが現状だ。もちろん、この二つの要求は単純な二者択一ではない。

まずは、省エネを徹底するとともに、再生可能エネルギー源へシフトすることが基本だ。現にデンマークのように、2050年までに自動車・船・飛行機などを含め、全てのエネルギーを再生可能エネルギーだけで賄うと決めた国も出始めている。全ての国が今すぐ、デンマークのような政策を採用するのは難しいが、気候変動をコントロールしようとすれば、化石燃料の使用を止める脱炭素の方向に舵を切るか、使用する場合には、CO2などが大気中に出ないように吸着させるなど革新的な技術が必要となろう。

3.パリ会議の使命

パリ会議は、このような背景のもとに開催され、その使命は、少し大げさに聞こえるかもしれないが、①人間社会は化石燃料を消費し続けながら経済的繁栄をあくまで追求し、その結果、猛烈な気候変動により社会システムの破綻に至るもやむを得ないと覚悟するか、それとも②20世紀から、私たちがどっぷり浸かっている意識、制度、技術を大転換し、70億から80億の人がこの地球に住む社会が、なんとか自然環境と折り合いをつけながら、心豊かで安心して生きていける持続可能な社会へと導く道を選ぶのかの歴史的選択をすることだ。もちろん、私は後者を選んでほしいと強く願っているが、パリで一度に全てが上手くいくとは期待できない。だが、ミニマムでも、第二の道に通じる軌道を間違いなく歩み出せるような選択をしてほしいと願う。

このような努力は人類社会全体がしなければならないが、日本も先進国の一員として大きな責任がある。しかし、ここで気になることがある。安倍政権は「国民の命と平和な暮らしを守る」として、安保関連法案を強行採決した。その成立直後に安倍総理は、「今後は経済政策を最優先する」と言明している。経済を最優先するとは何なのだろうか。電力価格を一時安くするために石炭火力や原子力の再稼働を推し進めることなのだろうか。首相周辺では温暖化対策は経済に悪影響を与えると、誤って考えられているふしがあるが、その安倍政権がどれだけ力を入れるのか、甚だ疑問である。

ぜひ、安倍政権が日本国民のみならず世界の人々の命と平和な暮らしを守るため、まともな温暖化政策に一刻も早く転換することを期待する。もし、それが出来ないなら、私たちNPOは大きな声を出さなくてはいけない。このような思いで、今年の10月27日には我々は環境シンポジウムを開催し、11月28日には、パリ会議に向けた世界中でのアクション「アースパレード2015」が日本各地で開催される。

ぜひとも積極的なご参加を期待している。