2019年4月号会報 巻頭言「風」より

新しい社会を支える諸原則とは

加藤 三郎


本誌2月号で、このままでいくと社会は破局をまぬがれないのではないかとの思いを書いてみた。これに対して何人もからコメントをいただいたが、その中で、本誌3月号では、レイチェル・カーソン協会の上遠恵子さんは次のように述べている。「最近、政治や社会の様子を見ながら漠然とした不安感を抱いているのですが、それが文字になって現れたという感じ」だとして、共感を表明されている。一方、末次聡子さんは、同じ3月号で、私の主張を否定するわけではないが、彼女等30代世代がこの種の文章を読むと、今が良ければよい、などと思考停止に陥ってしまうのではないかとの懸念を表明している。3人の子どもを一生懸命育て、将来に希望を託している若い母親としては、極めて真っ当で適切なコメントとして受け止めた。

繰り返すまでもないと思うが、私自身、破局になってほしいと思っているわけでは毛頭ないが、「このままの経済・社会・政治状況が続けば」そう遠くない時期に破局に至るのではないかとの思いを正直に伝えた。しからば、「このままでない社会」とはどんな社会なのだろうか、どういう原則に基づいて動いている社会なのかについて、現時点で考えていることを述べてみたい。

1.基本原則

①産業革命以降、これまでの世代(特に20世紀後半以降)が豊かで便利・快適な社会の創造を夢中で追い求める過程で、心ならずも積み上げてしまった環境負債の状況を定量的、定性的に再確認し、その負債(ツケ)を遅くとも今世紀の末までには解消し、元の健全な地球環境に修復させる責任があることを、多くの人々と良識ある政治家が厳しく認識していること。

②これから先の人間活動が何であれ、その活動がもたらす環境負荷は、環境容量の範囲の中に収める必要があることを、すべての組織(中央・地方政府、大・中・小の企業、市民団体等)が確約すること。そしてそれが、単なる口約束とならぬよう、憲法なり法令なり、会社や組織の定款などにきちんと書き込むこと。

2.共有すべき価値観

①人間が尊厳ある「生」を全うするのに必要で正当な「欲求」と、それを超えてがめつく求める「貪欲」とを峻別し、貪欲が結局は社会を安定させる上で決定的に害となる敵であるという感覚をもつこと。

②公私を問わず、何事であれ、行為を判断し実施するにあたっては、常に子や孫など次世代への影響に配慮する責務があること。

③日頃の生活や事業活動においては、おのずと限界があることを深く認識し、足るを知り、シンプル(簡素)ライフを旨とすること。

④いつであれ、どこであれ、他の生き物との共存を重視すること。

3.政治

①これまでの政治は、グローバリゼーションと民主主義体制の中で、原則「自由競争」を是として社会の発展を積極的に推進してきた。しかし、新しい社会においては、いかなる政策であれ、決定するにあたっては、中期(5~10年程度)及び長期(10年超)の時間軸の上で必ず政策の効果をプラス面、マイナス面から評価し、それに耐えるものだけを選択し、実施しなければならないこと。

②国政を担う政治家の選出は、地域のほか、性別、専門、年齢等においてバランスある構成とすること。

4.経済

①経済を駆動するためのエネルギー源は、化石燃料と原子力に代わり、各種の再生エネルギーに限ること。

②生産に供する原材料は、リサイクル材を使用することを原則とし、消費は必要性を吟味した上で「省資源、省エネ」を旨とすること。

また、新規の技術やシステムを社会に投入するにあたっては、環境や社会面からのアセスメントをクリアしたものとすること。

③経済規模の増大は目指さず、持続可能性のみを指標とし、マクロ、ミクロの経済活動を行うこと。なお、「経済学」も環境と社会の破壊をもたらしたことを教訓に、東洋の伝統社会の知恵を取り入れて再構築されたものであること。

④経済政策の立案、実施にあたっては、次世代を含む、人々の間の公平・公正が実現することを保証すること。

5.教育

①学校教育を通して、私たちが生活している空間は「有限」であることを、手を変え品を変えて徹底して教えること。

②何が(どんな思想が、どんな技術が、どんな産業形態が、など)20世紀から21世紀にかけて地球の環境を破壊し、人類社会と地球の生態系におびただしい犠牲をもたらすことになったのかを、国際的にも国内的にも詳細に分析して、その結果をすべての国民に分かり易く繰り返し浸透させること。

以上の私の思いを皆様はどうお読みになったでしょうか?あまりにも窮屈で、偏屈な原則であるとお考えでしょうか。

ただ、2030年前後から今世紀の後半に至る間に、人類社会がそれ以前には経験したことのないような破局を見てしまうとすれば、生き残った人達は、ここでスケッチしたような原則を当たり前のように受け入れるのではないかとも私は考えるのです。丁度、第二次大戦後の日本社会が、それ以前に通用した諸原則(天皇主権、言論統制、男女の差別、農地の地主・小作人関係、財閥温存など)を大幅に廃止し社会を一新した史実を改めて想起しています。熱核戦争さえ回避できれば、破局の後に、新しい人間社会が形成されている筈です。