2019年6月号会報 巻頭言「風」より

私たち大人の罪と償い

加藤 三郎


1.私たち大人とは

本年1月号のこの欄で藤村コノヱさんが、昨年末の国連気候変動会議で各国代表団、企業やNGOのリーダーなどを前にして語ったスウェーデンの一少女グレタさんの言葉を紹介している。再録すれば、「あなた方は、自分の子ども達を何よりも愛していると言いながら、その目の前で、子ども達の未来を奪っています。」「あなた方(大人)は、嫌われることを恐れる余り、環境にやさしい経済成長が永久に続くかのようなことを言います。良識的対応は非常ブレーキをかけることだけだという時になっても、あなた方は現在の混乱を引き起こしたのと同じ悪い考えのまま進んでいくことしか語りません。」という内容で、私は衝撃を受けた。

その衝撃は、私だけでなく世界中の心ある人たちの間に大きく広がっていった(先月号の会報でも書き手がみなグレタさんに触れているのはその一つの証だろう)。彼女の語った「子供達の未来を奪っている」という言葉は、残念ながらその通りである。

私が特に注目するのは、彼女は特定の政府や政権を殊更にやり玉に挙げているのではなく、いわば大人社会全体に向かって、今日の極めて憂慮すべき状況を引き起こしてしまった責任を鋭く問いかけていることだ。私は本欄で、現安倍内閣や経団連の一部業界の不十分な対応に対し繰り返し批判もし、それを許している私たち国民についても言及してきているが、グレタさんのように極めて端的で、一言ですべてを言い尽くすところには至っていなかった。たしかに、パリ協定やIPCCから発表された「1.5℃特別報告書」に書かれている対策に対し、日本も含むほとんどの国は、従来やって来たことに多少のお化粧直しをしている程度のことしかしていない。従って、世界全体の排出量は減るどころか増え続け、脱炭素とはかけはなれた方向に進みつつあるのだ。そのことをグレタさんは「あなた方は現在の混乱を引き起こしたのと同じ悪い考えのまま進んでいくことしか語りません」と鋭く指摘しているのだ。

私たち大人は、気候変動問題に関心を持つ、持たない、深刻さを理解する、しないに関わらず、結局、これまでの生産や消費の仕方を変え、政策や政治を変えることは出来ないでいて、同じ悪い考えのまま進んでいる。政府や財界のリーダーはもとより、その周辺におり、それを結果的に支えている大人たち全体(当然私もその中に含まれる)に対し、15歳の少女は全身全霊をもって転換を訴えているのだ。

2.私たちの罪とは

私たち大人は、様々なしがらみもあり、欲も深く、さらに言えば、それ以外の生き方など頭では考えられても体が動かないとなれば、こうなるしか仕方がないのかもしれない。私としては、彼女の衝撃的な発言を機に、あらためて私を含む多くの大人たちが心ならずも犯してしまいつつある「罪」を心の中で数え直してみた。読者の皆様には、私とは違った様々な思いが交錯したとしても当然だ。そもそも「私たちは時代の要請に沿い、時代の流れに沿って生きているだけで、罪など何も犯していない。地球環境がいかに悪化しようとも、それは私たちの罪ではなく、その危険性を充分に警告しなかった科学者やその政策を取り上げなかった政治家や官僚こそ、罪を犯したと言うべきだろう。」と考える方がいたとしても不思議ではない。しかし私は、私自身も含め、今生きている大人たちが無意識のうちに犯した罪は、とりあえず次の6点に集約できると思う。

①地球の環境は有限であり、すでに様々な限界現象(気候異変、生物の大絶滅、廃プラ海ゴミなど)は顕著なのに、無限の豊かさを求めて、経済規模の拡大を貪欲に求め続けたこと

②環境の悪化など人間社会の持続可能性に関する科学者たちの度重なる警告を無視ないしは軽視したこと

③技術開発やイノベーションの有効性を過信し、真の解決への取組みを先送りしてきたこと

④地球環境危機の時代にふさわしい新しい経済社会を切り拓くのに不可欠なNPOの育成支援や政治勢力の形成を怠ったこと

⑤短期的な経済利得よりも、あらゆる生命の基盤である環境を重視する価値観を育て、それを次世代へ伝える教育を怠ったこと

⑥魅力的な思想も素晴らしい事業も人間社会に沢山もたらしてくれた西洋文明(特に産業革命以降)は、今日の政治・経済・社会・環境の状況から評価すると、結果的にはマイナス面も大きくなりすぎつつあるのに、その検証を怠たり、日本の伝統社会の知恵も踏まえて新たな思潮構築への挑戦に踏み出していないこと

3.私たち大人の償い

私たち大人の多くは、経済が豊かであれば幸せになれるし、何か問題があったとしても、政治が、そして何よりも科学技術が解決してくれると楽観して、日々を生きてきた筈なので、上記の「罪」状を受け入れるのには抵抗があると思われる。しかし、罪の有無にかかわらず、結果的には私たちの地球環境も政治も経済も、満足すべき状態とは程遠い危機にあることを思えば、私たちは償うべきものがあると考えるのは自然だと思う。

その償いとして何をするかは人によって異なるが、私としては、まず各自が犯してしまった罪を自覚し、その反省の上で、自分が出来る範囲のこと、例えば、NPOの活動を支援する、街頭での抗議行動に参加する、政治家や行政機関に文書や面会などにより意思を伝え、変革を促すことなど、出来ることはいくつもあるかと思う。そうしないと、グレタさんに代表される将来世代の厳しい責任追及に向き合えないからである。