2022年4月号会報 巻頭言「風」より

激しい暴力と静かな暴力~戦争と環境問題

田崎 智宏


ウクライナ危機は、2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻したことで、現実のものとなってしまった。この原稿を書いているのが侵攻からちょうど1ヶ月を経過した頃であり、我々はこんな理不尽なニュースを1ヶ月以上も見聞きすることは想像もできなかった。多くの読者は憤慨と無力感の両方を何度か噛みしめたことだろう。すでに凄惨な情報に感覚が麻痺し始めているようにも思える。戦争による環境破壊は甚大で、環境保全の取組を無にしてしまうことも大問題である。

世界の安全保障がいとも簡単に崩されてしまったこの混乱の状況では、適切に対処していくためのブレない思想的基盤が不可欠であり、そうした観点から4つの事項を指摘したい。

第一に、戦争は絶対悪だということ。なぜなら、戦争は殺人や暴力を正当化してしまう。為政者達が正義を振りかざし、都合のよい自己正当化を行い、多くの市民の命を奪ってきた人類の黒い歴史がある。これに反証するならば、戦争はいけないことだと断定するところから始めなければならないはずだ。侵攻したロシアは当然ながら非難されるべきである。しかし、安易にロシアとの戦争や対立を煽るようでは、同じ穴のむじなになってしまいかねない(例えば、米国のバイデン大統領が「プーチン氏は権力の座にいられない」と発言したことが後述する国家主権の原則を超えた発言であるため、一部のメディアで問題視されている)。国際的な司法で裁くという世界秩序への道のりを歩むしかないのではないだろうか。きれい事だけではすまないのが現在の世の中であるため、過渡期は現実解が必要かもしれないが、やはり最終形は戦争は絶対悪とすべきだろう。 第二に、世界の安全保障の枠組みの更新が必要ということ。国連の安全保障理事会は、拒否権を有する常任理事国が戦争を始めてしまったことによって、その制度的な限界を自ら露呈してしまった。また、国家主権の原則、すなわち、いずれの国においても他国から内政干渉されたりしないなどの世界秩序の原則も、ロシアがウクライナ国内の2つの地域(ドネツクとルガンスク)が独立を承認するという行為により破られている。さらに、ロシア軍が行った原子力施設に対する武力による攻撃ないし威嚇は、国際法に反するというG7の声明が出されている。そのため、国際刑事裁判所は、ロシアの行為を戦争犯罪とするかどうかの捜査を開始している。こうしたロシアの「静かな」制度上の反逆に対しても我々はノーと言わなければならない。

一方、北大西洋条約機構(NATO)の今後のあり方も見直さざるを得ないだろう。東西冷戦が終結し、東側のワルシャワ条約機構は解体したのに対し、西側のNATOは解体どころか拡大をしている。世界の平和と秩序は、特定の国々(ここでは西側の国々)だけが安心するだけでは実現しない。プーチン大統領ならびにロシア政府を擁護するつもりはないが、西側からの一面的な見方だけでは世界平和は得られず、私たちにとっての安心や秩序を追求することがかえって静かな暴力や圧力をかける恐れがあることに十分に注意する必要がある。

第三に、兵器や戦い方が変化しているということ。一つは、ウクライナ危機では、これまでになく、ウクライナの戦況がリアルに報道され、また、市民が直接流す動画などが伝わってきた点である。それらが世界の人々の関心を引き付ける一方で、ウクライナのゼレンスキー大統領がウクライナ国民に降伏を促す偽の動画が流されることも行われるなど、情報戦がこれまでになく高度化している。もう一つは、核兵器、神経ガスなどの化学兵器、ステルス戦闘機などのハイテク兵器へと推移してきた技術開発が、安価なドローンを使った兵器などにさらに展開している点である。好戦的な小国やテロの脅威が増幅されやすくなっているともいえる。また、ゲーム感覚のような戦争感覚がはびこることにも注意が必要である。国連教育科学文化機関(UNESCO)の憲章では「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」とある。偽の情報や現実感覚が弱まりやすい暴力行為に染まらないように、我々はどうやって心の砦を築けるだろうか。

第四は、ウクライナ危機に反応した石油などの化石資源の価格高騰と、この間の2月28日に公表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書第2作業部会報告書である。価格が高騰して様々な支障がでるのは、化石資源に依存した旧来的な生活やビジネスを行っているからであり、むしろこれを契機に化石資源への依存を低下させていくことが大切になる。またIPCCの新しい報告書では、これまでの報告書よりも広範囲に及ぶ悪影響と極端現象の発生をより強調した内容となっている。しかも気候変動による悪影響は対策を行ってもすでに避けられないものが含まれ、気候リスクへの脆弱性が高まっていること、これまでの対策が十分でないことが指摘されている。つまり、気候変動対策をさらに進めないと、今世紀中を生きる多くの人々に気候変動を通じた被害を押し付けることになる。この被害はじわじわと進行するだけでなく、それらが相乗した被害をも引き起こす点も指摘されている。気候リスクに脆弱な地域に住む人々や将来の人々への静かな暴力も、戦争のような暴力と同様に、ノーと言うことが不可欠である。

いずれもオール・オア・ナッシングで、現在の至らない状況を嘆くのは諦めが早すぎる。世界の安全保障の問題も気候変動の問題も、足りない部分を再認識させてくれた。これまでに注いできた努力と成果があることを認識し、残る部分にしっかりと取り組むように声をあげていきたい。