2023年2月号会報 巻頭言「風」より

「社会を動かす」ということ

杉浦 淳吉


「社会を動かす」ということについて、皆さんはどのような印象を持たれるでしょうか。私が専門とする社会心理学では、私たちは「社会」から影響を受ける一方で、「社会」にも影響を与える存在です。皆に協力が求められるような状況で、個々人が利益を追求した(「非協力」行動をとった)結果、社会全体が望ましくない状況となり、かえって個々人の利益が得られなくなる事態を「社会的ジレンマ」といいますが、この考え方は個人と社会との間の様々な関係性を表象しています。環境問題は社会的ジレンマそのものです。

社会的ジレンマの事態を解決する方略は、2つのアプローチに分けることができます。一つは、個々の考え方や行動を変化させるように働きかけるもので、「態度変容アプローチ」といいます。一人ひとりの行動がかわることで社会全体が変わっていくボトムアップな変化といえます。もう一つは、社会の仕組みを皆が協力するように変えていく「構造変革アプローチ」です。人々の行動を変えていくための法律を制定することで、人々の行動が変わるトップダウンな変化です。この2つのアプローチは別々なようにみえますが、社会をどう動かすか、という観点でみると表裏一体です。

人々が環境に配慮した考え方や行動を獲得できるように環境教育を促進させようとしても、学校教育では「他にも学ぶべきことがたくさんある」などとして、大切なことだけど時間がとれないといったことがありました。そうだとすれば、学校をはじめ、社会の様々な場面で環境保全のための意欲の増加や環境教育を推進するための法律をつくればよいだろう、ということになります。しかし、法律を簡単に作ることができれば苦労しません。また、法律が簡単に変えられるようでは、誰かの利益に繋がったり、悪用されたりすることになりかねません。なぜその法律が必要か、多くの人が理解し、法律が変わるための土壌を築いていく必要があります。

近年では、個々の考え方に働きかけるのでもなく、法律のような仕組みによるのでもなく、人々の行動を変えようとする動きがあります。「ナッジ(Nudge)」と呼ばれる、ちょっとしたきっかけを提供することで、人々の行動が変わっていくという行動経済学の考え方です。私が通勤で毎日利用しているJR田町駅の階段には、何段かおきに階段を登る際に消費されると思われるカロリーが記載されています。日頃運動不足な人にとっては、こうしたきっかけからエスカレーターに乗らずに階段を利用することで、社会的なエネルギーの節約や個々の健康促進にもつながり好都合です。それぐらいだったら、「ああ、そうか」と自覚しながら問題解決につながりますが、知らず知らずのうちに、こうした仕掛けによって人々の行動が変わっていくこともあります。

ここで大事になってくるのは、個々人がなぜその行動が必要なのか、よく考えてみることではないでしょうか。私たちは、人の目が気になるからとか、ルールに違反すると罰則があるから、といったことで行動することもあります。それが当たり前のことと受け入れて、意識せずに日々行動していますが、その「当たり前」は裏切られることがあります。

自分が「正しい」と思ってやっていたことが、実は間違っていたということがあります。循環型社会の促進のため資源分別行動が徹底されるようになり、私たちは当たり前に取り組んでいます。物質循環を優先させるのにエネルギーが必要になることもあります。私はちょうど10年前に名古屋市から横浜市に転居しました。名古屋市では、例えばアイスクリームの紙のカップは、資源回収の「紙製容器包装」に出していました。横浜市も紙資源は回収していて、はじめは同様に雑古紙の回収に出していたのですが、後で「燃やすごみ」に出すことに気づき、行動を変えました。これは既存の知識が新しいルールを受け容れるのを妨害する例です。自治体を超えて引っ越せば、収集方法が変わることくらいは誰しもわかります。しかし、「当たり前」と信じて疑わない部分については、ルールの違いに気づけないことすら起きてくるのです。

最近、SNSで「ゴミ清掃員」をされている方が、ご自身の業務経験からゴミの出し方について投稿されていて、一部で注目されています。その投稿に対して、「知らなかった」とか「今度から気をつけます」といった返信が多数寄せられていて、私はそれを興味深く拝見しています。そもそも自治体が違えば、廃棄物の収集方法や処理方法が異なり、一律に何が正しいということは言えないのです。けれども、今までやってきたことが「当たり前」の人にとっては「目から鱗」ということにもなってしまいます。

感染症の予防のために私たちはワクチンを接種することがありますが、社会心理学では「接種理論」というものがあります。これは、私たちがもっている「当たり前」に対して普段から反論(弱い説得)にさらされることでそれが「免疫」となり、説得への抵抗が生じるというものです。

単にアイスクリームのカップをどう分別するかではなく、行動を変化させる必要があるときに私たちは「当たり前」から脱却できるようにしなくてはならないでしょう。一方で、変化させなくてよい時には、働きかけに無批判に従うのではなく、本当にそうだろうか、と立ち止まることも必要です。

エネルギー問題に目を向ければ、温室効果ガスの削減といった観点から原子力発電が再注目されるようになってきました。

こうした様々な問題に対して何が正しいか、価値観が多様化する中で簡単に決めることはできないでしょう。だからこそ、私たち一人ひとりが、「なぜそれが必要か」をよく考えてみることが重要となるのではないでしょうか。