2023年4月号会報 巻頭言「風」より

将来世代に対する私たちの責任~IPCC統合報告書の公表を機に

田崎 智宏


3月20日、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)はこれまでに発表された3つのワーキンググループによる第6次評価報告をまとめた統合報告書を公表した(和訳版は4月下旬頃に環境省ウェブサイトに公表予定)。前回の統合報告書が公表されたのが2014年なので、9年ぶりとなる最新の科学的知見である。

要点は、人間活動が地球温暖化の原因であることに疑いはないこと、これまでに発表された各国の排出削減量では21世紀中に温暖化が1.5℃を超える可能性が高いこと、気候関連リスクの多くは前回の評価よりも悪くなっており、現在観測されている影響よりも数倍大きな影響をもたらすことなどである。私の同僚である気候変動影響の研究者の計算によれば、私たち日本人がこれまでに全く経験したことのないような暑い日、つまり猛暑日よりもさらにグレードが増す超極暑日を、これから生まれてくる世代は生涯にわたって400日以上も経験するとのことである。熱中症の多発や、電力消費の増加がさらなる負のスパイラルを生じさせることを覚悟しなければならない状況である。このように、残念ながら私たちは、私たちが前世代から引き継いだ地球を同様の状態で次の世代に引き渡すことはできないのである。

このことは、将来世代に対する現世代の責任ということを改めて考えざるを得ない。ふと思うことは、自分が将来世代の立場だったら何と言うかである。皆さんだったら何と言うか。私なら「どれだけ努力したん?」だろうか。反骨心のある自分だから、多少挑発的に問いかけてしまうに違いない。

90年代初頭には地球温暖化の問題は知られ始め、2000年代に入ってからは普通の人でも地球温暖化を話題にするようになり、またそれを実感することも増えてきた。だから将来世代から「温暖化のこと、知ってたよね。」と言われても、「そのとおり」としか答えようがない。もし、孫やその年齢層に「おじいちゃん、おばあちゃんは私のことは心配してくれるけど、私が生きる世界のことはあまり考えなかったの?」と訊かれたら、もう絶句するしかなさそうである。

このことは、将来に何を残すべきか、という本質的な問いに関係する。一つ想像していただきたい。一面の焼け野原を。そして、その真ん中に一軒の家だけが残っている様子を。やや極論ではあるが、このような姿が我々現世代が次の世代に引き渡そうとしていることではないか。「家」のような個人的で身近なものを残し、そこで生活を営んでいくための周辺の基盤となるものを残さないという状態である。環境というものは、普段気付きにくいかもしれないが、人々が生きていくうえの「基盤」であり、「生きる世界」である。それを損なってしまっているのが現在の状況であり、将来世代の生きる可能性を低下させているのが私たち現在世代である。 より正確にいえば、我々が次の世代に残すことになる地球環境は、一面の焼け野原というような何も残っていないものではない。しかしながら、極端な気象を起こして被害を生じさせ、将来世代や「家」にも危害を加える地球環境である。

さて、IPCCが地球の温度上昇が1.5℃を超える可能性が高いというのならば、我々はそれが現実と受け止めて、前世代から引き継いだ地球を同様の状態で次の世代に引き渡すことは諦めることになるのだろうか。答えは否であろう。確かに、これまでとは違う地球を引き渡すことはもはや認めざるを得ないだろう。しかしだからこそ、そのような状態にしてしまったからこそ、その改善となる糸口や可能性を最大限広げていくことに努力すべきであり、それが現世代の責任といえるものではないだろうか。将来世代から「最後まで努力していたよね。」と言われる位にはせめてなりたいものである。IPCCの第6次統合報告書の公表を契機に、改めて私たちの責任とできる努力を考えてみたい。

個人の努力には限界があるので、世の中の仕組みも同時に変えていく必要があるだろう。新たな技術開発や導入で、脱炭素を目指すのは一つのアプローチだろう。よりよい技術を将来に残すという方向である。また、技術というハードなものだけでなく、制度や文化といったソフトなものも残す必要がある。文化は環境文明の十八番であり、今さら繰り返す必要はないので、制度について述べておきたい。

炭素税などといった環境政策の導入が一つの典型例だが、そもそもの社会意思決定に将来世代への配慮を行うことを組み込むという方向もある(そのような制度の類型をまとめたところなので、興味ある方は『環境経済・政策研究』第16巻第1号を参照いただければ幸い。https://doi.org/10.14927/reeps.rev1601-001) 。民主主義の基本原理には「All-Affected Principle」という、民主主義の意思決定で影響を受ける者全てが民主主義の母集団となるべきという考えがある。この考えによれば、現世代の決定に影響をうける将来世代の意見を、誰かがきちんと代弁・表明する必要がある。実はこの考えをすでに制度化している国が他国に存在する。有名なのがウェールズの将来世代コミッショナーの制度である。政府や公的機関の幅広い判断・意思決定に対して、オンブズマンのように、将来世代の立場から指摘・勧告を行うものであり、調査権も有している。こうした社会での決め方を変える基本的な制度の検討や導入・実践を行うことも現世代の責任の果たし方の一つだろうと思う。