2023年8月号会報 巻頭言「風」より

「未来を語る」ということ

杉浦 淳吉


「未来世代の権利」について考える機会が2023年7月の土曜日に東京都内であり、参加者の皆さんのお話を伺いながら、私自身も色々と考えることができました。当会主催のこの集いについて別途報告があると思いますが、記憶が新しいうちに、思いついたことを挙げておきたいと思います。

将来世代の権利といっても、私自身は漠然としたイメージしか持っておらず、そこで何が議論されるのかも分かっていませんでした。そもそも「未来(将来)世代」とは何を指すのでしょうか。その一つの考え方として、まだ法的に政治に参加していない人たち、つまり18歳になる前の人たちが挙げられるようです。年配の人たちよりも若者たちの方が未来の世界を過ごす年数も長いと考えれば、それも納得のいく答えです。そこには、これまでの人々の行動の集積によって生じてきている気候変動によって、現在の私たちが享受してきた環境を、次の世代に引き継いでいってもらうことができるのだろうか、という疑念があるのだと理解できます。

地球温暖化の時間的経緯からすれば、将来とか未来とかいった時に、せめて50年後とか100年後くらいのことを考えるのではないかと思っていた私は、現在すでに生存している子どもたちですら、その権利について考えなくてはならないような状況であることを思い知らされ、少なからずショックを受けました。今の社会はこれから生まれてくる人たちのことが考えられていないということが問われているのです。「将来」が長いのは若者で、その世代が自分たちの権利を主張するのは当然のことでしょう。

自分たちの利益に関わることなのに「若者は政治の話をしない」といったことが言われています。このことを日本社会に限定して議論するとして、政治の話をしないのは若者だけでしょうか。私は環境リスクへの対処行動の普及について社会心理学の立場から教育・研究を行っていますが、最近行った国際比較調査でも、日本の人々は欧米の国よりも、また近隣のアジアの国よりも、身近な人々と環境について語る頻度が低くなっていました。この結果を様々な観点から分析すると、その原因の一つは次のように考えられます。すなわち、自分自身は環境に関心をもっていても、「他の人々は環境について関心をもっていないだろう」と推測し、そうした話題を期待されていないと敢えて話さず、皆が同様に考えているために、結局お互いに環境の話をしない、ということにつながります。これを社会心理学では「多元的(集合的)無知」といいます。環境を政治に置き換えても同様のことがいえると考えられます。他にも世論の形成に関して、ある意見が優勢である場合に発言がしやすく多数派を形成するのに対して、少数派は意見が言いにくくなるという「沈黙の螺旋理論」でも説明ができます。

未来世代の話に戻すと、「未来の人たち」も一様ではなく、それはどのような他者なのかを考えなくてはなりません。私たちの社会は、自分が属している集団(内集団)と所属していない集団(外集団)とに分けて考えることができます。自分の家族や自分の住んでいる国は内集団と捉えられます。常識的に考えても理解できることですが、内集団のメンバーに対しては、外集団のメンバーよりも、相互に利益をもたらそうとする働きがあります。誰ともわからない人の未来のために行動しなくても、自分の子どもや孫のためだったら行動できるということがあるでしょう。同様のことが、国際間や世代間、考え方の異なる人々の間でも起きてきます。言うまでもなく、この世界では様々なところで利害による集団間の対立が生じており、「私たち」と「あの人たち」とで分断される状況があります。

こうした集団間の葛藤を解決するために社会心理学的な観点から考えられる方策の一つとして、共通の目標を具体的に見出し、コミュニケーションの機会を設けながら目標を達成するということが挙げられます。あたり前のようなことと思われるかもしれませんが、まさにそれが出来ていないということなのですね。

共通目標を達成するために何をしたらよいのでしょうか。私がとっているアプローチの一つは大学の講義におけるゲーミング・シミュレーションの実践です。現実世界のモデルを教室に再現し、ルールを設定した上でゴールを目指し、学生はゲーム上で設定された役割を演じます。環境政策ゲーム「キープクール」の活用はその一つです。ゲームの世界では現実の制約から解放され、「こんな世界もありうる」ということを語り合います。ゲーミングは「未来を語る言語」(Duke, 1974)と言われる所以です。ゲームの設定によって未来の人々の利益(権利)を考えることも必要となりますが、そこにはプレーヤーが演じる役割との利害関係が生じ、それを乗り越えていかなくてはなりません。果たして未来世代と現在世代ではいかなる共通利益を設定できるのでしょうか。

環境文明21は具体的な政策提言を行うNPOですから、上述のようなゲームの世界の話は荒唐無稽に映るかもしれません。しかしながら、現実に縛られたままでは新たなアイディアの創出の制約になることもあります。つい先日も、講義での実践を少しでも紹介できればと、代表の藤村コノヱさんに私が担当する講義「環境行動論」に参加いただき、「将来世代の権利」の話も絡めながら、大学生との対話の場を設定しました。今回特に感じたことは、大学の講義に本会のようなNPO活動を絡めることは、学生にとってさらに有益な学びの場に発展させられるということです。

1年前の本欄でも触れましたが、私にできることは本会にかかわる皆さんと、これからの社会を担う人たちとをどう繋げていくか、ということであると、気持ちを新たにした次第です。