2023年10月号会報 巻頭言「風」より

トリプル・クライシスに向き合う
          ~気候変動、生態系、環境汚染の危機

田崎 智宏


このところ、海外の情報で「トリプル・クライシス(3つの危機)」という表現が使われていることをしばしば見かけるようになった。国連環境計画では2020年にこの言葉を使ったページが作られており、地球規模の環境問題がより危機的な状況になっていることを改めて問いかけている。

どのような危機が世界的あるいは国連環境計画にとって認識されているかというと、気候変動、生態系、そして環境汚染、なかでも大気汚染である。途上国の都市部の大気汚染はひどく、特にPM2.5の濃度はWHO基準を大幅に超過している都市が多い。人によっては、資源の浪費とそれに伴う環境破壊などの危機を加えることもあり、「トリプル」という言葉にこだわりすぎずに、3つ以上の危機に我々が直面していることと捉えておいた方がよいだろう。

病気にたとえれば、これは複合的に症状が発生している状態で、かつ入院した方がよいような状況といえるだろう。

このようなときに対症療法ばかりをしていては、いたちごっことなってしまう。当面の危機を乗り越える緊急性はあるので対症療法も少しは必要だろうが、そのような対応だけでは不十分である。これは環境文明が主張し続けている人々の生活様式や企業活動といった人類の活動のあり方を創り直すことが必要という考えと同じである。

さて、翻って、日本の状況をみてみよう。実は、3つの危機は、日本の環境政策のなかでも10年以上前に取り上げられていた。2007年の「21世紀環境立国戦略」のときである。このときは、地球温暖化、資源の浪費、生態系という3つの地球環境の危機が注目され、環境政策に統合的に取り組んでいくことの重要性が指摘されていた。

しかし、先駆けた問題認識とはうらはらに、打ち出された環境立国の中身はというと、世界最先端の環境・エネルギー技術、深刻な公害克服の経験、環境保全に携わる豊富な人材、資源との共生を図る智慧と伝統の4本柱であった。それをもとに、アジアそして世界の発展と繁栄に貢献しようというのである。目の前で起きており被害が分かりやすい公害問題と今の地球環境問題の性質の違いが十分認識されているとは言い難い。また、その後の日本の実態をみれば、技術過信による震災事故、再生エネルギーの普及の遅れ、国際的に環境政策を先導できる人材の不足。さらに国際交渉においては後ろ向きの態度との海外からの批判が続いている情けない状況であり、4本柱の多くがガタガタの状況である。当時の意気込みは良かったと個人的には思っているが、願望論はもはや捨て去り、極めてロジカルに戦略的に取組を考えなければならない時機にきているはずだ。

さて、複合的な危機に立ち向かうには、統合的な視点は欠かせない。複数の事象が同時に起こる場合の結果は3つある。シナジー(相乗効果)が得られる場合、トレードオフ(相殺効果、二律背反)が生じる場合、お互いに無関係な場合のいずれかである。

このなかで、シナジーは注目されやすい。IPCCの第6次報告書でも、気候変動対策の多くは、SDGsの各ゴールの実現に資すると述べている。同様に、グリーン・ニューディールなど、環境と経済を両立させようとしてきた取組もあった。これらには複数の分野をまたがる関係者の意欲を喚起させる効果と、協働して取り組むことの可能性を拡げる効果がある。すなわち、新しいイノベーションなどを創出する機会に優れているアプローチといえる。しかし、注意も必要である。トレードオフ構造を放置したままでは、シナジーを求めた取組はより多くのトレードオフを生じさせるからである。

一方、トレードオフへの着目も実は悩ましい。個人あるいは個別の会社レベルでは、2つの問題のどちらを重視したらよいかが判断できなかったり、「今度はこの側面も評価しないといけないのか。」など自分ができることと、多面的評価で求められることとのギャップが深まったりする。結局は、誰かが強く主張する、教えてくれるまでは何もしない、という流れを生み出しやすい。 このような悩ましい状況におかれた結果、楽観主義者はシナジーに着目して新しいイノベーションなどの創出を狙い、悲観主義者はトレードオフに着目して、危機的な状況下に追い打ちをかける悪影響を回避しようとする。楽観と悲観とに分かれ、ある種の二極化が生じやすい。

どちらも正しい態度とは言えないだろう。シナジーに着目することも、トレードオフに着目することも、どちらも部分を見ているだけである。全体を良くする(それらを統合していく)には、違う視点が必要である。重大なトレードオフを引き起こす構造をシナジーもしくは無関係な構造に変えることこそ、目指すべきことだろう。

統合的な環境政策の必要性は環境基本計画でも謳われており、第3次から第5次の計画(それぞれ2006年、2012年、2018年)では環境と経済と社会の3つの側面を統合するような環境政策の方向性が打ち出されている。現在、議論されている第6次環境基本計画では、脱炭素社会(カーボンニュートラル)、循環経済(サーキュラーエコノミー)、自然再興(ネイチャーポジティブ)に向けた政策を統合していこうとしている。楽観だけ、あるいは、悲観だけに終始せず、広い視野と粘り強い議論と行動がトリプル・クライシスに直面している日本や各国に要求されている。