1994年2月号会報 巻頭言「風」より

「環境と文明」雑感と期待

松尾 友矩


環境の問題は文明の問題であるという認識は、一部の人にとっては既にうすうす気づかれてきていたことではありますが、改めて本会代表の加藤三郎さんの呼びかけの下に「21世紀の環境と文明を考える会」が発足してみると、人類共通の新しい使命感を呼び起こされる思いがしてきます。「環境の問題」と「文明の問題」の関係は必ずしも明示的ではないのですが、「環境の問題」を「文明の問題」として捉え直すことが必要になる状況にまで、「環境の問題」が深刻になってきたということなのだと考えられます。

文明開化といわれた時代を想起するまでもなく、文明の発達は人々の風俗習慣を変え、社会のあり方を変え、利便性を供与してきました。文明の中でも、特に科学技術に代表される分野の発展は実にめざましいものがあります。この科学技術の発展は、世界において、またわが国において、自然破壊や産業公害などの環境問題を生じさせる元となりましたが、一方で、それを解決する上でも大きな役割を負ってきました。筆者自身が工学系に属するということから若干身びいきとなるのかもしれませんが、科学技術はそれなりによく頑張って現代文明を築いてきたのだと思います。

しかし、「環境の問題」が地域、国境、大陸、海岸を越え、さらには成層圏の問題にまで展開していくとき、従来の文明の方向を継続し、加速していくことでは、対応しきれなくなっているだろうということが理解され始めたのだといえます。新しい方向は何かということが問題です。本会報Vol.1、No.2で加藤代表が論じている所もこの辺りにあると思うのです。江戸時代へ戻れ式の議論や、科学技術に支えられる現代文明を単に否定することだけからでは新しい文明は生じないことも明らかです。

筆者の個人的結論だけをいえば、時間尺度をもう少し長くとる価値観を持った文明を指向してみてはということになります。「もっとゆっくりやろうじゃないか、今では人生結構長いのだから」と呼びかけてみたいと思うのです。環境に対する負荷は密度(濃度)と速度によるところが大きいと考えるからです。そして、密度の改善よりは速度を減ずる方が合意を得やすいように思うのですがいかがでしょうか。

加藤さん、若さの象徴でもある豊かな黒髪を大事にされ、長いタイムスパンを見渡した、地球環境を相手とする文明のマスタープラン造りを宜しくお願いします。