1994年6月号会報 巻頭言「風」より

21世紀は農業の世紀?

加藤 三郎


18世紀の末に、イギリスの若き牧師マルサスは、きわめて興味深く、重要な一書を発表した。それは『人口の原理』として知られているものである。この書においてマルサスは、①食物は人間の生存に不可欠、②性欲はいつの時代にも存在し、その強さはおおむね不変、の二つを前提とし、アメリカ新大陸における人口増加の実例、農業生産に関する経験等に基づいて、「人口は幾何級数的に増加するのに反し、食糧等の生活資料は算術級数的にしか増加し得ない」と指摘し、「この両者間に存する不均衡とこの両者を常に均衡させておこうとする人類社会の要請は、完全なる社会を目指す途上に横たわる大きな困難であり、その困難は到底打ち克ち難いと思われる」と述べた。

マルサスがこう指摘してからほぼ200 年の月日が流れ去った。この間に世界の人口は、10億人ほどから現在の56億人へと激増した。しかしマルサスの予想に反し、食糧生産の方も耕地の拡大や農業技術の進歩等により、これまた激増して、マクロで見れば「両者の不均衡」は未だ生じていない。それどころか、1950年から80年代半ば頃までの比較的長期間にわたって、穀物、食肉、漁獲の量は、人口の増加の割合をはるかに超えて生産された。特に日本などの先進国では、マルサスの“管見”をあざ笑うかの如く、飽食、グルメを楽しんでこられた物的基礎はここにある。

それではマルサスの予見は杞憂に過ぎなかったのであろうか。いやそうではない、真に憂慮すべき事態が迫りつつあるとのレポートが最近相次いでいる。人類の食糧確保に関し、いわば黄色信号が点滅し始めたのであるが、この時期が各種の地球環境問題が一斉に噴出し始めた時期と重なることは偶然ではない。どうやら人類は、80年代に入って、地球の人類収容能力の限界を少なくとも部分的に超え始めてしまったのだと私は考える。

ところで食は水とともに、かつ工業製品などとは異なり、人間の生存に絶対不可欠。その食の生産のかげりが、世界の人口の重圧、地球環境の悪化、政治・行政の混乱等のなかで続けば、その結果たるや「タイ米ではいや、日本の銘柄米でなければ」などと言っていられたのがつかのまの夢となるであろう。21世紀には世界にとっても日本にとっても、農業がこれまでと全く違った重要性を帯びることは確実と思われる。それがまた、工業文明の20世紀を見直し、循環を基調とする社会を築くことにもつながると考える。