1994年7月号会報 巻頭言「風」より

科学は時に間違いを冒す

鈴木 猛


フロンは、無味無臭、不燃性で安全なガスである。低温ですぐに気化し、断熱性が高く、比較的安価など数々の優れた性質によって、冷蔵庫やエアコンの触媒に、ウレタンフォ-ムなどの発泡剤として、またエアゾルの噴射剤として広く用いられてきた。最近では、電子回路などの精密部品の洗浄剤として多量に使用されている。

20世紀が生んだ最大の発明品の一つで「夢の化合物」と呼ばれたこの物質が、成層圏のオゾン層を破壊する元凶としていま目の敵にされている。

戦後、彗星のように現れた「魔法の殺虫剤」DDTは、食糧増産に貢献し、マラリア媒介蚊対策の主要な武器になったが、食物連鎖を通じて生物濃縮することが分かり、やがて姿を消した。

フロンもDDTも、「化学的活性が低く、それゆえに人畜に安全性が高い」といわれた。それがフロンでは、非活性であるがゆえに分解されることなく成層圏にまで達し、オゾン層の破壊という思いもよらなかった害をもたらしている。DDTは、安定な物質であるがゆえに分解されることなく、生物の間を転々とめぐり、次第に濃縮されるという予想もしなかった経過をたどる。

科学は昔から、数かぎりなく間違いを冒してきた。ということは、これからも、別の間違いを冒す可能性を暗示する。「いま真実と考えられていること」が間違いかもしれないと疑うのが科学者である。「科学の無謬性」を信じているのは、科学者ではなくて、むしろ一般の人々であろう。

南極のオゾン層に穴が開いているという。いつの日にか、「最新の研究結果によると、オゾン層破壊の真の犯人は、フロンではなく○○と判明した」と発表されることだって、あり得ないことではない。だが、オゾン説がホントだった場合、いま、手をこまねいていたら手遅れになる、という。

海洋汚染や酸性雨の惨状は、座礁したタンカ-から流出する石油や、溶け出した古い教会のテレビ映像を見れば見当がつく。しかし、大空を見上げても、オゾン層の破壊が見えるはずがない。人の呼気にも含まれる二酸化炭素が地球温暖化の犯人だとは、なおのことピンと来ない。人の「感性」に訴えないからである。

人類の歴史は、おそらく「感性」によって動いてきた。ところがいま、人類の「知性」が問われている。それに対応するのは科学しかない。その科学は、しばしば間違いを冒す--。

しんどい世の中になったものである。