1994年10月号会報 巻頭言「風」より

「考える会」二年目への思い

加藤 三郎


昨年9月、わずかばかりの人達とやむにやまれぬ思いで本会を結成し、友人、知人を中心に会への参加を呼びかけ始め、会報の第1号を発行したのが10月中葉。それから丁度一年が経過し、この号でもって二年目に入った。

退官して環境・文明研究所なるものを設立したのも、また本会を結成したのも、なにも目算があってのことではない。ただ、地球の環境と人類社会とが急激に、かつ広範に悪化しつつあること───豊かで恵まれた日本にだけいるとそれはまだ実感されないようだが───、その根本原因が大量生産、大量消費のなかで、地球環境の破壊と南北格差の拡大などをもたらした20世紀型工業文明に集中的に表れていること、安全で平和な21世紀を求めるならば、その文明のあり様を転換しないわけにはいかないが、具体的にどう道づけたらよいのか、明確には見えないこと、そんなことを「考える」一つの核となり、また同じ思いの人々を募り、輪を広げて、そのための活動を手探りでも始めなければ、との思いからであった。

幸い、少なからぬ人々の強い関心と理解そして厚い協力もあり、またマスコミにも度々取り上げられたこともあってか、会員の数は個人、賛助も含めて700人を超えた。本誌の会報の方も、第1号以来、毎月、順調に発行しつづけ、7月号からはささやかながら増頁もできた。またこれまでのところ1回だけながら、茨城県古河市の皆さんのお力もお借りして充実したワークショップを開催でき、今月には、宮澤賢治の思想と生活を訪ねる会も予定している。

このように、手探りで始めた1年間としては、まずまずの「成果」かと思い、会を支えて下さる皆様にまずは心から感謝と敬意を表したい。

しかし、これで満足か、自信ができたかと問われるとそうではない。その思いは、特に、会員の皆様に対して実施したアンケートへのまことに真剣な回答を読んでいると強くする。「当面はこのままでよい。しっかり頑張れ」とおっしゃって下さる会員も沢山おられるが、それと同じ位の数の方が、「考えてばかりいてどうするんだ。具体的な方向づけや行動が見えてこないではないか」とか「インテリ談義ばかりでは世の中すこしも変えられないではないか」などに代表される会員のフラストレーションも私の心に強くひびく。実際、冒頭に述べた本会結成の趣旨から言っても、また将来に対する危機感の深さから言っても、いくら「考える会」ではあっても、考えているだけでは、十分でないことはよく解かる。

しかしその一方で、やみくもに「行動」かと促されると、おいそれとはいかぬ。様々な切り口から、十分に考え抜いたかの思いもすぐに去来する。迷っているわけではない。しかし100年以上もつづいた社会経済システムとそれを支えた思想、価値観、それを変えようというのには、やはり、広く深く考えねば、との思いもまた強い。

二年目への私の思いは、私たち自身がまさにその一員である20世紀型文明の転換を強く意図して、今しばらくは考えを深めてみたい。そのためには、まず本誌は、会員間の意見の交流やディベート(討論)の場としてより活発に使ってもらうよう、鈴木猛編集主幹を中心に編集の仲間と努力してみたい。また会の活動の幅も、ワークショップや懇親の場を増やすなどすこしづつ拡げてゆきたい。

どうかこれからも、異論、反論も含めて、どんどん意見を会報にお寄せいただき、活発で実のある会にしてゆきたいと念じている。会員の皆様にさらなるご協力、ご尽力をお願いする。