1999年5月号会報 巻頭言「風」より

「ダイオキシン騒ぎ」に欠けているもの(2)

加藤 三郎


(2)「化学物質の海」に生きる覚悟

前回私は、マスコミのダイオキシン報道ぶりや3月末の「対策基本指針」の内容を見て、ともにダイオキシン問題の基本原因、つまり「元」に迫っていないことを批判した。しかし消費者や国民の側においても、このような視点や政策方針を許容し、または促す原因を作っているとしか私には思えない。それは私たちの心(意識や価値観)や経済システムそのものに深く固く根づいてしまっている利便性、快適性、経済性といったものを主体とする「豊かさ」のやみくもの追求に根ざすものと考えているからである。

化学物質関連に限って言っても、8万種以上の化学物質が私たちの衣食住はもとより交通、医薬などあらゆる場面で使用されているという。私たちは今、まさに化学物質の海で生きているのだ。例えば「衣」では化学繊維から人工染料、抗菌剤、「食」では化学肥料や農薬、さらに添加剤、着色料、防腐剤や食器の材料、「住」では人工的な建材から家具・調度類、さらには空調剤、殺虫剤や脱臭剤類などなど無数にある。これらは皆、私たちの生活や経済の一側面を豊かにする目的で開発され、消費されているものだ。だからマスコミが一時騒いだからといってダイオキシンだけに目を奪われていてはならないのだ。

しかし、これら化学物質が一度環境のなかに放出され、あるいは焼却や埋め立てで廃棄されると思わぬ副作用を人間の健康や生態系に及ぼす事例には事欠かない。DDT、PCB、フロン、ダイオキシン、塩ビなどはその代表例だ。そういうことを知ってか知らずか、毎年、数千という新規の化学物質が消費者の「ニーズに応える」という形でマーケットに出てくる。

そのなかには、人間にとって目覚ましい働きをするものもあるし、とんでもない悪作用を及ぼすものもある。このほかにも、人知れず生態系に悪影響を与えているものも無数にあろう。いずれにせよ、これら化学物質は人間の豊かさにとって良かれと思って開発され、使われたものだ。その結果、人がいつの日か化学物質の海で溺れたとしても、あえて言えば、自業自得だ。

しかし「自業自得」と言ってしまっては、問題は少しも解決しないと言うのなら、少なくとも、次の二つは必須である。一つは、欲望に対し時には「NOと言える」強い抑制の心を持つことと、もう一つは、一つ一つの新規の化学物質に対し、その影響をチェックするシステムの確立である。化学物質の海に生き航海している以上、信頼できる海図を用意し、暗礁や早瀬をレーダーや目視により、昼となく夜となく監視し、一旦事故ある時には対応する体制をつくる知恵を持たなければならない。専門家のいうリスク・アセスメントであり、リスク・マネイジメントである。この手間と費用をいとうとしたら、それこそ「自業自得」の結果となる覚悟を国民も消費者もそしてもちろん化学物質を生産し、流通させる業にある人も明確に持たなければならない。

(3)規制と経済的手法が切り札

昔も今も、アメ(助成)とムチ(規制)が有効である。化学工業界は近年、自主的取り組みであるレシポンシブル・ケアの有効性をなにかにつけて強調するが、水俣病からPCB、フロン類さらに最近の塩ビや環境ホルモン問題などに徴して見ても、人の健康と生命、そしてその基盤であるエコシステムを護るには、自主的取り組みで十分とは思えない。自主取り組みもそれなりに有効であるとは思うが、法令による生産、使用の全面的禁止を含む規制こそが最も重要であることは戦後から今日までの化学物質問題史が明白に語っている。

規制と並んでもう一つ有効なのは、経済的手法である。経済的手法とは、環境汚染物質や行為など環境により大きな悪さをするものには、より多くの税・課徴金や料金などの経済的費用を払ってもらい、逆に環境に良いものには、この負担を少なく払い又は補助金などにより助成することをいう。これにより経済活動全般を環境に良い方向に規制によらずにできるだけ自然な形で誘導することを目指す。

代表的な経済的手段は環境税であるが、それ以外にも沢山の手段が先進国で実施されている。環境文明研究所の中村裕が環境庁の委託により主要なOECD諸国における経済的手段の実施例を最近調査したが、諸外国には実にユニークなものがある。

まず一般廃棄物収集の課徴金化(有料化)は、多くの国で実施しているが、デンマークの場合、埋め立て地へ搬入する場合はトン当たり335クローネ(1クローネ≒18円)であるのが、焼却場へは260クローネそして熱を回収している焼却場へは210クローネと環境負荷に応じて税額に差がつけてある。同国の場合、包装容器の場合も、素材、容量別に小売用容器(飲料、ジュース、ドリンク剤、酢、油など)の税額を細分している(0.38~2.28クローネ)。

使い捨て商品への課税もいろいろある。ベルギーでは使い捨てかみそり1枚につき10フラン(約33円)やリサイクルしない使い捨てカメラ300フラン(約1000円)、カナダでは使い捨ておむつの場合、製品価格の6~7%、デンマークでは下げ紐のついたプラスチックス製の大型買い物袋が20クローネ(約360円)、また電球は0.5~7.5クローネ、但し省エネ型電球は免除といった具合である。

デポジット(払い戻し金)制度についても、ビールビンをはじめ様々な商品(廃車両、金属製かん、プラスチック製飲料ボトル、ガラスびん、蛍光灯など)について実施され、それなりに効果をあげている。

こういう事例を見ていると、なぜ日本では、環境保全のためにまともな経済的手段が利用されていないのであろうか。「都市計画税」、「自動車重量税」「自動車取得税」「下水道使用料」「高速道路利用料」など環境に大いに関係のある税・料金は日本にもいろいろあるが、不幸にしていずれも環境保全とはほとんど関係のない視点で税・料金が定められている。誠に残念である。

その原因としてよく指摘されることは、日本の制度の設計・実施者である官僚の世界では、法学部出身者が主流をなしており、経済的手法の効果についてはあまり理解していないためであるという。しかし多分、これよりも経済的手法導入に対する業界の抵抗があまりに大きく、それに対する政治・行政の指導力の少なさ(場合によっては癒着)に起因しているとの見方も有力である。このいずれであれ、あるいは他に理由があるにせよ、このような状態を容認しているのは他ならぬ国民である。「自業自得」とならぬ前に、政党や政治家に向かって大きな声を出すことが肝要である。

社会経済のシステムそのものを変える強い意志と能力を欠く環境論議は、ほとんどただの駄弁に過ぎないほどの事態にまで私達は追い込まれていることを認識しなければならない。